友達が開催する即興劇のワークショップに申し込んだ。
「即興」なんて、そう『「即興」なんて、自分がやるもんじゃない』と思っていた。
すごく最近まで即興ピアノのワークショップも自分がやるのは嫌だったし、ましてや劇なんてと思ってきた。(そういえば、朗読もものすごい抵抗のなかで行っていた。)
自分はというと、絵とか、作品というものをアトリエというどこかしこで作りこんで提示したり、carapaceもやっぱり工房で一定の時間と適切な道具を揃えて作るというところにある。だから自分は違う、と思ってきた。
でも、「絵を描く会」をやり始めて、ちょっと変わってきた。
「絵を描く会」ではたった2時間程度で作品を描き、そこで作品として発表し、見てもらう。
そんな短い時間で作りあげたものを作品として、しっかりと見てもらうなんていう経験を多分長いことしてこなかった。小さいときはそうだったかもしれないけど。デッサンなんか2時間で描いても、ほとんど練習という位置づけだった。
絵を描く会では毎回わたしは実験的な気分になって、あれやこれやとやってみる。今までは、こういうものを作品として見せることはあり得なかったというものを、見てもらう。この場で、この時間でポツネンと現れるもの。
そういうことを何度か体験するうちに、「これは即興なのかな」と思ったことがあった。
ある友人たちとスカイプしたときに、音楽の即興の話がでて、絵画の即興ってあるのかな、ということを考えたのもきっかけだった。
そう思ってしばらくすると、即興劇のワークショップに参加する気分になりはじめて、またしばらくして先日申し込んだ。以前、その友達が「みおちゃんならできると思うよー」と言った、本人ももう覚えてないかもしれない言葉を思い出して、ああ気になってたんだなーと思った。その時は、「なにを根拠に!」と思っていた。
今、さらに考えると『「即興」だったら、わたしでもできるよー』という気分にすらなっていて、むしろピアノも劇も、その場でなにかするくらいのことしかできない。
実際、劇の即興という感じがどんなのなのか、やってみないとわかんないんやけど、やる前から「確かにできそうだー」という感じが嬉しい。やってないのに、もう怖くない。そうそう、怖かった。いや、ちょっと怖いかも、緊張はする。そうそう、劇や音楽とかいうことに対して、その場で練習もせずに何かするみたいなことの抵抗が減った。
劇とか音楽の言葉である「即興」が、絵の「描くこと」を細かく見せてくれている感じも面白い。
2時間とか、もっと短い時間で、その場にあるもので描くということと、もっと長い時間ときには何年もかけて最高の道具を集めて描くようなことがなだらかに繋がっていくイメージを持つようになっている。
これは多分、今までは「練習(習作)」「作品」と二分してしまっていたところが、短い時間で作るものにもたっぷり光があてられるようになったからだと思う。
そして、ここまで書くと「即興」って言葉へのこだわりもだいぶ薄れてきて、そもそも絵画は「即興」という分類はあまりしないので、劇とか音楽とかの「即興」と「それ以外」は実のところ何が違うんだろうという気になってきた。
結局、絵のことを考えてしまうんやけど、なんか楽しめることが増えた。とりあえず、来週即興劇。