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2018年5月21日月曜日

2018年4月に行った展示。

・池大雅(京都国立博物館)
・トラベラー まだ見ぬ地を踏むために(国立国際美術館)
・東郷青児 夢と現の女たち(あべのハルカス美術館)
・未来につなぐ和の意匠力(逸翁美術館)
・明治150年展 明治の日本画と工芸(京都国立近代美術館)
・第1回コレクション展(京都国立近代美術館)
・江戸の戯画 鳥羽絵から北斎・國芳・暁斎まで(大阪市立美術館)
・コレクション展 洋画と日本の風土(大阪市立美術館)
・70年万博収集資料(国立民族学博物館)
・モネ それからの100年(名古屋市美術館)
・常設展 名品コレクション展Ⅰ[前期](名古屋市美術館)

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けっこういろいろ行った4月で、最初に行った「池大雅」が随分昔に感じる。
江戸時代中期の南画画家池大雅、「南画の大成者」と言われるらしい。南画(文人画)は富岡鉄斎も見に行ったことがあるけど、なんか面白くないと思って、今回はどうだろうと思ったけどやっぱりそれほどだった。もちろん上手いけれど、興味の対象としては絵が中心にあるのではなく学問全般だったり、文章の方にあるように思う。ある文章の世界を絵に表すということが中心にあると思うので、それ抜きで絵を見ようしたときに少し無理がくる。文章の方を知っていると、「それをこう現すか!」みいたいな面白みがあるかもしれない。

東郷青児展。全体を通して時系列に展示してあった。半ばあたりから、手の表現がすごくよくなって、魅了されてしまった。東郷青児の独特のコンピュターで描いたようなグラデーションももちろん特徴的に現れてくる。それはそれで、実物をみると表現として技術として後期まで磨きをかけていっていることが見て取れる。それとは別に女性の手の表現はほんとに美しくて、もっと見たいもっと見たいと思ってしまった。現実的なわけでも、やらしいわけでもない手で、まあこんな人いない。それは、顔の表現だってそうかもしれないけど、手の方にぐっとくる美しさがあった。

モネ展。モネ見たさに、名古屋まで行った。自分でもようやるわと思う。見れてよかった。行く前からなんとなく思ってたことだけど、この展示のモネの解釈と自分のモネについて考えてきたこととはちょっと違う。例えば、会場で配られれいる子供向け冊子に「私が自分が見たものよりも、感じたものを描きたいと思いました。」とモネに言わせているけど、私はモネは自分が見たものをそのまま描こうとしていると思っている。最近ある本を読んで思ったことだけど、西洋絵画の歴史として、カメラオブスキュラとかレンズを通して平面(紙や壁)に映しだされた画像を描く。つまり、道具を使ってすでに二次元に変換させたものを描くということがあったが、それには抗うような形で、レンズを通さずただ自分の目で見たものを描くということを推し進めたんということもあるのかもしれないと思った。「感じる」ということを描くときに排除できるとは思わないけれど、どちらかというとモネはできるだけ排除する方向で描いたのではないかと思う。





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