月に一度2日連続で開催されているこの講座に参加している。
自分の文章を書くための通年講座 2019
2日目の午前中、レポート書くのっていいねっていうような話に主催のけんちゃんとなり、そうだそうだ、この講座のレポートも書いてみようと思いました。
せっかくお金払って参加してるんだからレポートくらい書いて「味わいつくす」のだ。
「味わいつくす」というのは、ほかの参加者のトミーさんが言っていた言葉。これも、いいねいいね、と思った。
まあ、無理にレポートを書こうという話ではなくて、レポートを書きたくなるくらいおもしろい講座です。
精読講座ということで、今回は自分の文章を読んでもらいました。
もうひとりほかの方の文章も読みました。
読んでもらったものはこちらに掲載されてます。
当日のことと、提出するまでのことと混じった感じになるかもしれないけど、とにかく提出に向けて必死で書いてました。
自分がやるにはちょっとスケールの大きいものを書こうとしてて、やっぱりそうするとどうやって進んでいいのかわからなくて書きづらい。全体性みたいなものがぼんやりと見えてる中で書いていくけれど、「これ後で出てくることとを重ねてかいちゃってるんじゃないかな」とか、「全体で整合性とれるんだろうか」とか、まだ1万字もいかない段階から全体がのしかかってきて重たかった。
でも今書ける一歩一歩を書いていこう、整合性はたくさん書いてあとでなんとかするんだと、重荷を背負いながら書けばいいだけだと思って進みはじめることができた。後でみたら間違っているかもしれないけど、進める道をすすむしかない。
これは自分にとっては小さなスケッチをいっぱい描いて、大きな作品の具体的なプランを徐々に詰めていくというプロセスに似ていた。小さなスケッチをいっぱい描いて、少しづつ大きなものにしていきあるとき「これならいける」と思える時がくる。いや、もちろんおじゃんになるときもある。あるにはあるけど、「こんなのが作りたい」という全体がおじゃんになることはほとんどなくて、無数のおじゃんのスケッチができるという感じ。
それで、その日までになんとか行けるところまで行った、ひとまとまりを読んでもらった。
読んでもらって、自分がなんとなくひっかかった理由に気づいたり。
言われたことでちょっと考えが広がったり。
おもしろかった、というような言葉は普通に嬉しい。
文章を書いておもしろいと言ってもらえることは嬉しくて、書く原動力になっていると思う。でも、なんか全然承認された感じはなくて、いくらおもしろがってもらってもひとりだ。最終的ななにもかもの決定が自分にあるという緊張感を持ち続けるようになった。
それは裏を返せば理解されなくても書けるという、ある種の力なのかもしれない。
この講座前から何度か自分の文章の精読はしてもらったことはあって、こんなにちゃんと読んでくれる人たちに読んでもらって、なんでそんな力がつくの、って思うけど、そうなってきたと思う。
書き進める。
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