その文章は日本語で、普段ほとんど日本人の出入りがないカナダの大学の美術の教室で使うスケッチブックに書いたものだった。だから誰も読めないと油断していて、ある日、日本人の知人に見られてショックを受けた。
彼女は、友人のカナダ人になんて書いてるのと聞かれ英訳した。ふたりの反応を思い出せない。わたしは自分の知られてはいけない秘密が漏れだしてしまったような気になって血の気が引いていた。
じぶんが人の幸せを喜べない人であることも、そう感じることによってじぶんじしんがわたしをほんとうに幸せな人ではないのではないかと疑っていることも、むしろほとんど断定していることもバレてしまった。読まれたときにそれが秘密だったとよくよく気づいた。
それから10年以上たって、今はほんとうに幸せになっている。じぶんが幸せになると、人が幸せであること、楽しそうにしていることを喜べるようになった。それでなんとなく予言めいたあの文章のことを思い出した。
わたしが幸せなのは、本当にじぶんが好きだと思えることをやっているからで、そのことを自覚的に考えられるからだと思う。
人が幸せそうに、楽しそうにしているのを見て嫉妬が起こることもある。でも、それでもそのことを嬉しく思うことが同時にできる。ふたつのレイヤーが重なるように。人に嫉妬しても、自分もそんなふうに楽しくしたいと、自分の世界に目を向ける。じぶんが好きなことをやろうと思うときに、やっぱりほんとうに幸せそうに、楽しそうにしている他人がいることが頼もしく、心強く思える。ふたつのレイヤーの比重が変わる。
0 件のコメント:
コメントを投稿