7回シリーズ「日本国憲法をバカ丁寧に読む会」の1回目「前文」が先週木曜日に終わった。
「前文」をこういう形で読むのは3回目で、また新たに読もうとする気持ちとともに、さすがにそんなに多くは見えないのではないかという感覚もあったんやけど、今までの2回とは全然違う側面も見えるようになった。
今回、自分の読んだ感じとしては全然読めなかった。その分、一緒に読んだ人たちの読み方を聞くことができた感じもある。
印象的なのは、主語が不規則に移り変わっていくことで感じる船酔い感。「日本国民」「われら」が不規則に使われて、「われら」って誰?ってなったり、同じ言葉であってもその主語の立ち位置が文ごとに変化していくような不一致感がある。神や宇宙を含むようなような目線もあれば、もうちょっと地上に近い感じにしゃべるときもある。そうそう、書いているというよりは、「そもそも」で始まる文のように話しているというような文体さえ含まれている。そういうゆっさゆっさと振られる感じに酔った。
この主語の不規則感、自分で読んでるときも若干感じてたんやけど、おもしろいことにそれをキャンセルして読もうとしていていた。なんで、キャンセルしようとしたかというと、その「誰か話しているのか分からない感じ」に付き合ってしまうと、そこのとばかりに目がいって読んでることにならんのではないか、という迷いが出てきて、ここには目をつけないことにした。
でも、その船酔いに付き合うことで見えてくるこの文章の世界があることが後でわかったことで、それは一人が自分のためということを最優先して書いた文章とは全然違い、いろんな立場や意見を持つ人たちの言葉をなんとか一つの文章の中に差し入れようとするいびつさだったりする。
そういうようなことは以下のような文章にも現れていて、「日本国民は、・・・この憲法を確定する。」という文章の中に4つの事柄が「し」によって並記されている。
日本国民は、「日本国民は、・・・この憲法を確定する。」ということとこんな4つのことが一人の人間のなかで、というかそうそう並記されるわけがなく、一つ一つ独立させてもいいはずなのに、でもこの文章を書くときに間に突き刺し並記せざるをえない事情があったんだということを思わせる。
・正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、
・われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、
・政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、
・ここに主権が国民に存することを宣言し、
この憲法を確定する。
それともう一つ。日本国憲法前文の書き出しは「日本国民は・・」から始まる。
前回まであまり不思議におもわなかったけど、「日本国」という国がどのような国か説明が全くない中で、国民について言及されている。当時のある一定の日本国民にとって日本国・日本国民の説明するまでもない自明性が表れているように思う。
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