憲法とか法律というものは、必要な該当箇所だけつまみ食いして読むものだと思っていた。例えば、ここにそんな高い建物はを建てたくても建てられないんですよ、それはこの法律のこの部分にこう書いてあるから、みたいな感じ。憲法にしても、9条が気になると思えば9条を読む。そういう読み方で見えてきた世界も大きいけれど、「日本国憲法」というひとつのまとまりがある以上はそれを最初から読むことで見えてくるもう少し大きな世界観がある。
それはファンタジーを読むのに似ている。会では天皇というものの存在が「果てしない物語」ファンタ―ジエンの幼心の君のようだという話もあったりした。その世界では自明すぎて、説明として書くことにそぐわないような人物の存在。
そういう細部の感じ。それから、最初の一文字一文字から昭和21年11月3日の日本国というものが開けてくるようなイメージがある。そして、この憲法文章はそのように読んだときに非常に読みにくい。
多分、こんな風に読んでみることをこの何回かの、「日本国憲法を読む会」で知ったように思う。
ただ、真っ白な世界があったとする。
そして、
日本国憲法と、何かタイトルのようだ。日本という国の憲法。
そして次のように続く、前文の初めの文字、
日本国民は、このとき、「日本国民」がその真っ白な世界にフッと現れる。でも、何者なのかよくわからない。
この文章は更に続く、
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。この文章自体は結構わかりにくいと思う。何故最初に「選挙」の話なのか、何故「再び戦争の惨禍がおこることのないように」と、具体的な史実を述べることはないのか。しかし、ここにはこのように書いてあり、書いた人にとってはそのように書く理由があった。そして、この憲法の始まりはこの文章によってはじめられた。
前文はまだ続くのだけど、引用はこのへんで終わる。前文は全体として、細かいことの何を置いてもまず書かねばならないこと、この憲法の土壌でもあり大気でもあるイメージだ。
そして、
第一章 天皇「天皇」は前文には現れなかったので、新たに出現する。
第一条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。「天皇」を知らない人にとって、正直言ってこれでは天皇がなんなのかよくわからない。「日本国の象徴」、「日本国民統合の象徴」、「日本国民の総意に基く」など、結構な存在ではあるようだ、とは思える。第一条から第八条で少しずつ、この人がなにをしたりしなかったりするか明らかになる。
そして、
第二章 戦争の放棄「天皇は、 」から始まった第一章が、第二章戦争の放棄では「日本国民は、」から始まるのが印象的だ。
条文は以下のように始まる、
第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。この文章を今回読んで思ったけど「日本国民は、」結構大変なことをする人たちだ。例えば国際的に他国から武力行使を受けたとしても「日本国民は、」武器はとらない。何かあったときに、武器を持ってみて威嚇することすらしない。それで死にそうになっても例え死んでも武器はとらない。「永久にこれを放棄」しているんだから。そういう人たちだろう。
「日本国民」という人たちにはいろんな側面がもちろんあるはずだ、けれど、条文として一番最初に「日本国民」について書かれた文章がこれだということに、この1面の重要性を感じる。
自分が日本国民であることさえ脇に置いといて読んでいこうとしている。それは、書かれてからすでに70年という時間があるからそういうことができるのかもしれない。でも、ちょっと日本国民に戻ったときに、九条は本当にすごい文章で、本当に「戦争が放棄」できるのだろうかという不安になるくらいの強烈さだ。自民党改正案は、戦争は怖いけど「とは言っても、攻めてきたときに無防備で殺されていいの?」という気持ちにすっと入りやすい。なんだか「モモ」の灰色の男たちを思い出す。
会のこと、ちょっと書いてみようと思って結構書いたけど、ちょっとしか書けない。
もっとバカ丁寧に読んでいる。
ここまで読むと、少し日本国憲法の世界が広がってきたので、第3章以降、どんな世界が広がっているのか楽しみにしている。ドラマやアニメの次回放送を楽しみにするような気分で、憲法を読んでそんな気分になるのかとびっくりする。
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