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2016年11月18日金曜日

人間が自分と関係なくある瞬間が好きだったのかもしれない。『メアリー・カサット展』京都国立近代美術館。

《母の愛撫》のポストカード。

先日、メアリー・カサット展に行ってきた。後半にあった《母の愛撫》という作品がよかった。

展示後半カサットは、近代における「聖母子像」の画家と紹介され、うちが見てもなんとなく聖書を思い出させるようなものが並んでいた。その流れの中にこの絵もあったけど、これはうちには全然違って見えた。

横長のキャンバスは、映画のワンシーンを思わせた。親子は誰かが彼等を見ていることを全く知らない。いたとしても全く関係ないような親密な瞬間。そんな感じがする。

メアリー・カサットという人は本当に人間が好きだったんだなと、全編を通しても思う。それに、何かに熱中した人間が好きだったようだ。うちにはそんなふうに描かれた人というのは彼女の作品のなかでとても魅力的に見える。

海辺で親も友達も関係なく集中して遊ぶ子供たち《海辺で遊ぶ子供たち》、オペラグラスでひたすら舞台を見つめる女性《桟敷席にて》、なども魅力的な作品だった。浜辺と自分意外に世界にはなにも無いかのように遊ぶ子供。それに、舞台と自分以外の世界を一旦ほうり出している女性。

カサットが、母子の姿を多く描いたのも、母子二人の間の他の人間が全く関係なくなるような瞬間に惹かれたからかもしれない。見ているわたしは完全に彼等からはじかれている。描くひとと描かれる人がいるというのとはちょっと違う。だた存在する人と、今度はそのことに魅了されただ描くことに熱中してカサットがいた、そんな風に思える。

カサットが描いたのは家族や親しい友人も多かったようだけど、描くときに親密さに重きを置いていたようには見えない。カサットの知人たちが、カサットなんか世界にいないかのように何かに没入している様を捉えようとしていたように思う。

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