来月お出かけ絵を描く会を開くけれど、今日は家で雨戸までしめて、ヘッドフォンで爆音で歌謡曲聞きながら、生活音が遮断される心地よさを感じながら描いてます。
描くにもいろんな状況がある。
随分前、隆が書いていた文章で、子どもと一緒にいながら書いたのがブログに上がっていた。内容は覚えてないけど、子供が喋りかけてきたりという状況がありながら、さいご「普段ならもっと校正するし、また編集するかもしれない」みたいな感じで確か締めくくられていて(随分前に読んだので間違ってたらすいません)でも公開されていた。こんなの文章を表現にしてきた人にとっては冒険だったんじゃないかと思う。
子どもがいるときには、子どもといる文章になる。一人のときには一人の。パートナーといるときにはパートナーといるときの。家は家の。外は外の。自分にもいろんな状況があるから、今日はこうじゃないと描けないとか、これはこういう状況で描きたいというのはあるけれど、私はこうじゃないと描けない、というのは描くことの全体ではないように思う。今日描いてる自分のこの状況と、外で描く自分がとても違って見えるけど、描くということはそれくらい広い。
そとはそとのことが起こる。
そとのことはあんまり計画できないから、たくさんのことが外からやってくる気がする。
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