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2019年6月5日水曜日

雑誌「言語6」(2019年6月1日発行)に寄稿文が掲載されています。

「妊娠の記録」というタイトルの、文字通り妊娠中から産後病院からの退院までのことを書いた文章です。

自分にとっての初めての大作を雑誌に掲載してもらえることになりました。


この文章は、産後振り返って当時を書いたわけではなく、妊娠の渦中にありながらその時起こっていたことを書き続けています。もちろん、後日校正はしてますが。当時よくぶちあたったのは、現在進行形のできごとを書き残してしまう苦しさで、自分がやることなすこと安産や健康な子どもといった良い結果に結びつくのか全くわからないなかで自分の決断と行動とその動機をつぶさに残してしまうという不安でした。でも、こんなに大作になるとは予想もせずに書き始めてしばらくしたとき、直感的にこの日々のできごとを振り返って書くことはできない、今しか書くことはできないと思ってました。どうしようもない当事者性というか、どうしようもなくそれまでと変わってしまった自分をなんとなしに感じていて、そして妊娠が終わると、いつもの自分に戻っていくような気分がありました。

他にも、いろんな身近な人の言葉を書いて、それを聞いた自分の思いを書いたりたりしてますが、あーもうほんとうにこれを本人が読んじゃったらなんて思うんだろうか、なんて勝手な遠慮もしばらくは重荷になったり。本人ドンピシャじゃなくても、なんか言われないかとドキドキしながら書いたり。

妊娠中起こった出来事を省みたときに過去の自分がとても嫌な人だなと思えてしまうようなこともあり、その嫌な部分をどういうわけか書きにくいと思いながら書いてしまったりしました。

完成直前に読んでくれた友人のひとりは「味付けなし、プレーンな感じ」と言ってくれたけど、「幸せフレーバー」とかそういうのなく、自分がそれまでに抱いていたなんとなしの妊娠のイメージをちゃんと自分で壊して、構築しなおしたりしながら、自分に起こっていることを見続けたかったのだと思います。自分が自分の妊娠を見続けるのにわたしにとっては書くことが必要だった。書くというなかで、勝手な遠慮とか、見栄とか、いろんなものをかなぐり捨てた気がします。まあ、ほんとに恥ずかしいこともいろいろ書いてます。

書き終わって、読んで自分で泣いちゃったりします。少なくとも自分にとっては宝物です。明らかに楽しいだけではない日々の記録なんですが、この文章があることはとても幸せです。

どんな人におすすめしていいのかわかりませんが、読んでいただけると嬉しいです。

「言語」サイトにて注文できます。

追記:
妊娠中は書くのも考えるのもしんどい時があり、正直これを書こうとしてお腹が張るようなこともあった。胎児だった新には負担をかけたかもしれないけど、やめることができなかった。無事に生まれてきてよかったし、たえてくれてありがたい。

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寄稿というのも面白い貴重な体験でした。
寄稿という体験。







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