寄稿という体験。

2019年6月3日月曜日

書くこと

初めて雑誌への寄稿をして、掲載された。
雑誌「言語」

自分が書いた文章としては最長のものになった。約4万4千字。

最初はなんとなくブログにでも載せようかと書き始めた「妊娠の記録」がどんどん長くなっていった。長くなると自分が書いてきたものの重圧に耐えかねて先が書きにくくなったりもするもので、何度かの危機を乗り越えながら完成に至った。

偶然この時期に開かれた文章を読んでもらうことができる合宿で、この一部を読んでもらったりもした。最初は、これを読んでもらうつもりもなかったけれど、なんとなく行き詰まっていた部分を苦心して書き上げた。

一応ブログとか、機会があれば見せるつもりで考えては書いていた。けれど、その頃には2万字ちかくになっていたこの文章の行方は自分にはよくわからなくなっていた。ブログに・・・載せるのか?

雑誌「言語」は友人とパートナーがやっている雑誌で寄稿を受け付けていることも知っていた。目安は2万字以上。ちょうどそのラインを超えかけていた。なにかになれば出せるんじゃないか。

送ってみれる場所があるというのは書き進める動機のどれくらいになるのだろうか。動機にはならないかもしれないけど、その頃には確固とした影響としてちょっと体が持ち上がるくらいのものにはなっていた。賞に送ってみたらという考えたことのないような選択肢も教えてもらえた。文章を面白いと思ってもらえたようであることはとても嬉しかったが、でもそれはなんだかちゃんと手につかなくて影響度合いは低かったように思う。

自分が何を書いているのかわからなかった。小説とか、エッセイとか、ジャンルに自分を当てはめてみることがその時点でも難しかった。文字で書かれていればなんでもいいのです、とりあえず読みます、と言っている雑誌だからそれを意識しながらも書きたいように書き進めることができた。

ある日文章を完成させて、メールにて編集人に送る。送ることは2−3週間前には決めてはいたが送信ボタンを押すのに勇気がいった。もう後戻りはできない。

掲載の流れは順調に進んでいく。

ある日のメッセージ。「執筆者確認はこれが最後になり、あとは基本的には編集者の判断で進めます。大きな問題があればそのときは再度確認します。」

誤字脱字など中心に見てくれた文章を再度見直す。確認完了の連絡を送ろうとするときに、強い緊張が走る。おかしい。もう後戻りはできないと、もう手放したはずの文章はまだ手放しきれていなかった。火葬場で「最後のお別れです」と喪主がスイッチを押すときに、なぜこのことが取り返しのつかないようなことをしているという思いにかられるのかわからない。死んだと言われても体がある限りまだ諦めをつけていなかったのだと思い知らさる。スイッチを押すことは喪主の役目であるような、喪主の特権であるような。

雑誌への寄稿という体験が特別だったのは、手をかけた文章が完全に自分の手から離れていくこと。修正できない形で印刷されて、自分の名前とともにどこかへ行く。明日そのうちの1冊がおそらく自分のもとへ届く。