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2019年7月5日金曜日

「石膏デッサンの100年」(荒木慎也著)を読んだ。

「石膏デッサンの100年」(荒木慎也著)を読んだ。


日本で美大受験をしてないから石膏デッサンを受験で勉強することもなく、実は授業で1−2回しか描いたことがない。だからあまり「石膏」デッサンには自分にはこだわりがなかった。むしろ、今になって有名な石膏像いろいろ描いてみたいとは思う。でも、自分と同じか少し上くらいまでの年代で美大受験をした人はどうやら結構こだわりがあるテーマらしい。

大まかには日本での石膏像と美大・美術予備校との関わりの歴史がざっと書かれていt。

石膏をどう描こうとするのかということを説明する部分がおもしろかった。ひとつに、対象を的確に捉えそのまま描こうとするという技術的な描き方がある。また一方で、じぶんの独特の捉え方を描こうとすることもできる。

前者のほうが、ヨーロッパで新古典主義などの時代に推奨されたスタイル。後者は近代以降セザンヌやロダンの頃に出てくる。

このあたりを読んで思ったのは、デッサンで絵を描くことは、技術的なことと、自分の独自の捉え方が合わさったところでできている。これは意識的にどれくらいどっちの方法で書こうとするか変えられる。「今日は技術重視、できるだけ見たまま客観的に描こう」、ともできるし、「自分にはこうみえるということをつきつめよう」ということもできる。ただし、どちらにふりっきても他の要素を0にすることはできない。技術重視というところのデッサンのイメージは、その絵を見たら描かれたもとの像の3Dの再現がイメージできる精度を目指す方向。じぶん独特、方面のイメージは物体としてはほとんど何が描かれているのかわからないという可能性まであると思う。




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