京都国立近代美術館コレクション展で見た村上華岳の絵がよかった。
村上華岳って全然知らなかった。
30−40枚はあっただろう作品には菩薩と風景が多かった。
「あっ」と思うのは単に菩薩がいる、風景が描かれてあるというふうに描かれていないところ。
ある世界があってその中にいる菩薩がたまたまその掛け軸の中に描かれるように選ばれたというふうに思う。作者はある確固とした世界を持っている。それは現実の世界とはおそらく違う。作者の思い描いた広大な世界がある。その中に菩薩もいて、作者の世界を濃厚に表す一側面であるから描かれることになったんだろう。菩薩が描かれた数十センチ四方の紙を見ると、そこを通り越して紙の向こう側にある世界のことがわかってくる。
風景も同じようで、ある広大な世界の一部分が選ばれてそこに描かれた。描かれた部分はわずかなのに、わたしはある自分が知らない世界があることを知るし、その世界について知ることになる。
その世界がどんな世界なのか、言葉にすることができていない。
悔しい。
奇抜な色がない世界。強風はふかなさそうな世界。
じぶんがそこにいくとちょっとぼんやりしてそうな気がする。多分心地いい世界。
ずっと居たいかというと、そうではない世界だろうという気がする。でも、好みの問題まで考えてしまうほど鮮明な世界のイメージが伝わってくる絵で、引きこまれていた。
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