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2019年10月23日水曜日

においがかげなくなった。無臭だ。

「無臭だ!」とか書いてちょっとおもしろくなっちゃったけど、ほんとに匂いがかげなくなっているのでドキドキもしている。このドキドキは全くワクワクを含んでいないドキドキで、ちょっと辛い。

耳鼻科に行って、ちょっとはかげるの?全くないの?と聞かれ、鼻に感じる湿度が時々匂いのような気分になるので即答できず、金木犀の匂いが全くしない、と言ったら、先生の反応でこれは全くかげてないと言っていいんだなと思った。

風邪からくるのは治りにくい。とぎょっとして。でもうちの患者さんは結構治ってるよ。と微妙にほっとする。悲観したらいいのか、なんなのかよくわからない。

副鼻腔炎じゃないかと、なかなか治らない鼻の症状に耳鼻科を受診して、まさに副鼻腔炎はそのとおりだった。で、今はとりあえず副鼻腔炎の治療をしている。副鼻腔炎はひと月ほどで治るだろうって。副鼻腔炎と匂いが消えたことの関連はどれくらいあるのかわからない。風邪で鼻水が出すぎて匂いがわからない、程度のことだと思ってた。

無臭なのは初体験の特殊な状況なので気づいたことを書いておく。

■味がふくらまない。
料理の「ふくらみ」というやつの正体のひとつは匂いだったことがよくわかる。
匂いは、食べる前からやってきて、食べた後にも存在する。もうすこし細かく書くと口にものを入れる前から匂いがやってきて、口に食べ物を入れることでより、近くで匂いをかぎしかも口の中の味と合わさり、さらに、ものを飲み込んだ後も残り香がある。そうやって味というものはふくらんでいる。多分。

コーヒーは匂いがしなくても、飲んでいる。別に美味しい。むしろ、味にはすごいフォーカスがいく。でも匂いがしなくなって、コーヒーを飲んでいる時間の感覚はとても減った。口に入れるまで始まらず、口の中の下に残るざらつきが消えてしまったときにもうすでにコーヒータイムが終わってしまう。

コーヒーのみならず、飲み食いしている時間の感覚は減った。

■花にぎょっとする。
「金木犀の香りがしない」のはこの季節とても象徴的だけど、匂いがしないと花と言う存在にはとてもぎょっとする。普段、自分というのは花は見る前にかいでいるということがよくわかる。この「かぐ」というワンクッションがないがために、眼にいきなり入った花というのにはびっくりする。驚かされて声がでるような驚き方ではないけど、ちょっと心臓に悪いというか、ありえないことが起こって、血流がわるくなったなという感じ。毎回毎回大きなことが起こるわけでもないけど、毎回毎回なのでちょっと疲れる。気味が悪い。

■危機管理機能がひとつ減っている。
ガスの匂いもかげないので、火が付いているかとか、元栓がどうなってるのかすごく気になる。新がうんこしてても、匂いではわからない。オムツ替えか遅れる。当然自分のうんこの匂いもしない。口臭とかわかんないので、なんだか体調には疎くなりそう。食べ物が腐ってても匂いでわからない。家の匂いもわからないから、掃除しにくい気分。生乾きの洗濯物の匂いもわからない。
結構、こういうことにストレスがかかる。匂いの危機管理業務を他の機能で埋め合わせないといけない。