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2019年10月24日木曜日

においがしない世界。

副鼻腔炎の薬が効いたようで鼻は少し通ってきている。頭痛がほとんどない。そしてやっぱり匂いもない。ほんとにしないのかとコーヒーのコップに鼻を突っ込んでかいでみたけどやっぱりしない。

匂いのしないのは風邪をこじらせた鼻づまりのせいだと最初思っていて、そのときはなんとなくのストレス源はそもそもの体調不良だと思っていた。そのときもなんだかおかしいと思い続けてはいて、今は、寂しさだと思った。

やっぱりそれは毎回小さなストレスなんだけど、匂いがしないというのにはあるはずのものが見えないという寂しさがつきまとっている。見えないというのはもちろん比喩で、匂いが見えていたわけではない。でも、それくらいに確固としたものだったということが今になってわかる。目の前にいきなり食べ物が現れるのは、今は結構びっくりする。今までは匂いがあって、食べ物が見える。でも食べ物が先に現れて、ちょっと血行が悪くなったような感覚がくる。頭で意識するより先に、匂いの不在を体の方が意識するようで、その不快は匂いの不在だというようなことを今度は頭で理解する。最初はよくわからなかったけど、理解するスピードが上がっている気がする。

いい匂いか悪い匂いということの前に、匂いがしないということが寂しい。

ずっとこの状態だとは思ってないんだけど、もし長期間この状態だとしたら、泣いてしまうかもしれないと思った。

身近に暮らしていた人やペットを亡くすとか、程度の差はあれ、同様の寂しさであるように思う。喪失感だと思う。

誰かが亡くなったときに世界が変わってしまったということを言う人がいるけれど、自分にとっても匂いがないのは世界が変わっている。今までと比べるととてもいびつで、欠落している。

数日前ホルモン焼き肉をした、その時も匂いはなく、いい匂いがしてきたという声に、ああやっぱり匂いがするのかと思った。少しだけ羨ましいような気分と、でも何故かその言葉を聞くと安心はいいすぎかもしれないけど、ちょっとほっとした。