・福岡道雄 つくらない彫刻家(国立国際美術館)
・態度が形になるとき‐安齋重男による日本70年代美術‐(国立国際美術館)
・北斎‐富士を超えて‐(あべのハルカス美術館)
・ボストン美術館の至宝展 東西の名品、珠玉のコレクション(神戸市立博物館)
・木島櫻谷 近代動物画の冒険(泉屋博古館)
・中国青銅器の時代(泉屋博古館)
・岡本神草の時代展(京都国立近代美術館)
・平生29年度 第4回コレクション展(京都国立近代美術館)
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ボストン美術館の至宝展、面白かった。確か11月1日に行って、何かブログに書きたかったけれど、11月はちょっと忙しくてずっと思っていたのに書けずじまいだった。
大きく言えば地域ごとに分類しての展示だった。エジプト、日本、中国、フランス、アメリカ。(あと版画・写真と、現代美術が少し。)
面白かったのはアメリカ(このときあったのは1760年代から1953年のものまで)。というのも自分がアメリカ絵画をこれまであまり楽しめなかったからなんだけど、今回は面白かった。主に風景画に関することだけど、覚えている印象では、アメリカ絵画って薄っぺらい。別の言い方をするとヨーロッパに比べて歴史がない。薄っぺらいというのは、そもそも塗り方自体がそうで、厚塗りしていないという印象。歴史がないというのは例えば景色を描いていても、その景色に意味がない。美しかったり雄大だったりそういうことはあるんだけど、でもその景色が意味するものは私が思う意味でまだほとんどない。自分たちを養ってきた土地だ、とか、恐怖をもたらす土地だとか、そういうことはまだないし、わからないという印象。
まだもうちょっと見てみたいなとは思ってるけど、アメリカの絵画があんまりだったのは、あるはずのものがないという印象だったんだろうと思う。ヨーロッパの絵画で見なれたある種のなんらかの豊かさが欠けている。
それはおそらくヨーロッパ人が同じ土地に住むなかで結果的に築き上げた土地との関係から生まれたものではないかと思う。でもアメリカに移民した人たちにとって、その土地と自分たちとの関わりは浅いのだから、風景がヨーロッパに住むヨーロッパ人とは違って見えてもおかしくはないということをあまり考えなかった。
手元に絵がないなので記憶に頼るんやけど、なんでそんな印象になるかというと、多分アメリカ絵画のほうがパンフォーカス。風景の中でこれが重要で、これが重要でないという区別がすくないか、別の規則から重要性を判断している。
馴染みのない土地では、何か特定の物にフォーカスするよりも全体をまんべんなく見ていくということは重要であったとしても不思議ではない。
そんなことを書いていたら、また見たくなってきた。
気が向いたらもう一回行くかも。
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