新約聖書、旧約聖書両方を読み終えた。
新約聖書ゼミ
旧約聖書ゼミ
西洋絵画というものに興味を持ってしまったわたしが、同じく西洋に根を持つクラシック音楽をやっている明日香とこれもやっぱり西洋に根を持つ哲学をやっていたさっちんと一緒に読んでみたいというのがきっかけでもう2年近く前に旧約聖書創世記のゼミを開いた。
絵画に引きつけて読んだり音楽に引きつけて読んだりということはあまりしていないので、そのこととの関連について特にいま書くことは思いつかないけれど、なんとなく持っていたイメージからは逸脱するようなことがたくさん書かれていて、とにかく気になっていたものを読んでよかった。
なにかがすっきりとわかった、ということはあまりなくて、よくわからないとか、理解できないことの連続だった。少し大げさかもしれないけど、現代でもこの本を文字通りバイブルとしていきている人たちがいて、ほんとうに理解に苦しみながらこれを読んだ自分ののような人たちもいて、ともに地球に住んでいるのかと思うとなんだか途方もない。
すっきりわかれば、それはそれで気持ちいいことだったに違いないけど、わからないということを抱えながらというちょっと面倒な思いをしながら、それでもわかろうとしつつ読み進めたのはなんだか悪くない。わからないというか、聖書の中での行動原理を不可解に思ったり、言葉の選び方も効果的に思えなくて腑に落ちなかったりということが結構あった。だからなんでそんなふうになるのかと考えながら読むことが多かった。
こんなふうに聖書にはすっと納得できることばかり書かれているわけではないのでなんでこういうものと深い関わりを持つ西洋絵画を好きになったのだろうとびっくりして、その答えはまだあまりかんがえれていない。
ゼミの最終回で気づいたのは全体に漂う「未だ」感、だった。「未だ」なにかが達成されていないという感じがずっと漂い続けていた。最後の最後まで未だ神の救いは来ていない。ずっと、まだ満ちない。来たことにしてもいい場面は何度かあったのではないかと自分では思ってしまうのだけど。
考え方の違いの理由はさまざまだろうけど、大きなものとしては風土というものがあると思う。乾燥、砂漠、痩せた土地。生きていくのが簡単ではない土地だろうことは旧約聖書でよくよく思った。少しでも豊かな土地は奪い合いになる。日本というところは湿気ていて、食べ物には困らない。風土はそうとうおおきく影響しているんじゃないかと思う。
そして、9月からコーランゼミを開きます。
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