単にやりたくない。

2014年9月18日木曜日

ついこの間、1年半ほど続けていたある非営利団体の活動を辞めた。辞めたといっても職員だったわけでもなく、正式に会員だったわけでもないんやけど、とにかくそこで活動をしようとすることを辞めようと決心しそれを伝えた。

活動に参加し始めてしばらくして、だんだん活動に気がすすまない部分がでてきた。最初はその理由が何なのかわからない。でも、やりたいことを見出してそこに行ったのに、どちらかというと気が進まなくなっている、おかしい、と思う。

じーっと考えながら、でもやる気はだんだんと減りながらその活動を続け、そのうちに活動の中にを自分で進めていきたいと思ってない部分が多いことがわかった。そこに積極的に時間を使いたくない。自分が関わりたい関わり方とか部分はほんの一部だった。

意外とショックなことだった。だってそれがしたくて活動してると思い込んでいたから。でも、そんなことはなくある小さな面に惹かれて、それで他の事もなんとかなればおもしろいなーくらいのことだったんだと思う。そういうことをちゃんと意識していなかった。

この活動はお金をもらってやっていたわけではないので、お金の駆動力が全くない。自分が何故その活動に惹かれたのか、今どう思ってるのか、どうしたいのか、どこまでやりたいのか、考え続けるしかなくなり、なぜか自分がボコボコになっていく。自分がやるんだから社会課題がどうとか言ってられない、そんなの理由にならない。今まで頼っていた考え方の底がどんどん抜ける。

思ったことを正直に言おうと思い、私は活動のこの部分はやりたくないということ、でもこの部分はできるということをミーティングで伝えた。そこでは、私がやりたくないと言った部分に関して「じゃあそれが出来る人を探そう」という意見にまとまった。

誰かやりたい人がいるからその団体は立ち上がったと思ってたので、そんな意見が出ることにびっくりはしたけど、そこにいた以上私もその意見に関与しているわけだけだけれど、もうそんなことは比較的どうでもよく、考え尽くして「やりたくないことをやりたくない」と言ったということが記憶に残っている。活動を辞めたのはまだこれからじばらく経ってからのこと。

人数も多くない、法人格もない、個人が勝手にしたいことのために集まっていたはずなのに団体にいると、「それは私はやりたくない」の一言が意識しないと言葉にならないほどに重くなってしまっていた。ミッションに深く関わることだったから尚更かもしれないけど。

でも、その中で自分の言葉をたぐり寄せて「これはやりたくない」と言えるまで考え続けてよかったなと思う。今までなら、なんとでも言えるような理由をつけてもっとはやく辞めていたかもしれない。

単にやりたくない。少なくとも今はやりたくない。
それでいいと思う。