「岡崎京子展 戦場のガールズ・ライフ」(伊丹市立美術館)を見てきた。

2016年8月28日日曜日

美術館・展示


美術館に入ったとたん。
しまった全然しらない漫画家の原画展に来てしまった。なんで・・・?
と、ちょっと尻込みしてしまった。

アートスケープでなんとなくそれを知って、
なんとなく行くと決めてしまった。
確か、椹木野衣がどこかでこの人のことを話してた気がするとか、
「戦場」って気になるなーとかそんなことは考えたけど。
(結局いわゆる戦場はまったく出てこなかった。)


なんで来たのかよくわからないけど。
いい展示だった。

原画が置いてあるということから「原画展」とイメージしてたけど、
主催者はきっとそんなことは思ってなくて、
しっかり「岡崎京子展」だった。

もし、原画展だったら、
知らない漫画の原画を見てどこまで楽しめるのかわからない、
という気がするんやけど、
この展示はそういうことが全くない。

原画を扱いながら、
この人の漫画のエッセンスをちゃんとちゃんと抽出していた。

80-90年台の岡崎京子の作品を横から俯瞰して、
しっかり目の前に並べてくれたという感じがしている。

この人が見た時代の雰囲気とかを見せつけられて、
もっと読みたいと思わせられてしまった。

チラシにも使われている、会場にあった岡崎京子の言葉が面白かった。
いつも一人の女の子のことを書こうと思っている。
いつも。たった一人の。一人ぼっちの。
一人の女の子の落ち方というものを。
この言葉を見て、作品を見ると、本当にそういうことをやっているなと思った。
そして、この人は「一人の女の子」を書こうとしているというのが、
新鮮だった。
「一人の人」ではなくて「一人の女の子」。

あんまり自分が真っ向から扱ったことがないから、
おもろいって思うんかもしれへん。


展示を見終わって、
漫画が置いてあるコーナーで長居していたけど、
結局家に帰って2冊買ってしまった。




初期の作品の「pink」と映画にもなった「ヘルタースケルター」
(映画は前に観ていたけど原作者だとはしらなかった)。
どっちも面白かった。

pinkには主人公の女の子の義理の母の嫌な女が出てくるんやけど、
結構うちはこの人に似てるかもしれない・・・
まあ、似てるところあると思う、
自分で宣言するもの嫌やけど、指摘されたらもっと嫌そうだと思って
先に書いてみた。