「翻訳本の読み方」(雑誌「言語5」掲載)感想

2018年5月31日木曜日

言語5」を読んだ。やっと全部読んだ。

けんちゃん(小林健司氏)の「翻訳本の読み方」が面白かった(この文章だけでなく、けんちゃんの他の文章などにも随分影響を受けて書いているけど、「翻訳本の読み方」の感想として)。
英語がある程度読めたので、翻訳本なんかより英語の原典で読めるならそのほうがわかりやすいと長年思ってきた。英語で読むと簡単に思えることが、日本語ではすごくわかりにくくなると感じることがちょくちょくあったからだ。多分、英語をある程度読める時点で、なんとなく無意識に英語の前提みたいなのをつかんでいる。だから、どうやらその前提に乗っているとすっと読めることが、日本語で、翻訳本で、読もうとすると、日本語にはその前提がないのでなかなか読みにくかったようだ。

ある言葉の前提自体を意識するのは、その言葉自体で読んでいては難しいようで、翻訳本を読むからこそ(他の言語を通して読むからこそ)見えてくるその言語が持つ前提があるようだということを、去年からゼミでけんちゃんの読み方を聞いたり(この時は英語ではなくフランス語の翻訳だけど、とりあえず広く西欧語くらいでは似たものだろう)、「翻訳本の読み方」や、最近けんちゃんが書いた他の文章を読んで気付かされた。そして、その前提が意識的にわかると、翻訳本でも随分読みやすくなるし、その前提自体が見えてくることがとても面白い。

長らく翻訳本に特有の読みにくさをどうしていいのかわからずただただ厄介で、それなら英語で読んだほうがすっきり読めるしその方がいいと思ってたけれど、厄介さから活路を見いだせうるというのがびっくりで、と、同時に翻訳本いいね、と思わされるところだった。

英語圏に4年も住んで英語で暮らしてわからなかった言語の持つ前提を、翻訳本を通して発見していく手つきは、すごいというか、そんなことあるのかというか、やられたというか。そんな感じなので、簡単にできるとも思わないけど、自分自身がもう日本語を土台にして生きていて、その中で西欧のことに興味を持ち続けているなかで、翻訳本が面白くなる読み方だった。


一応書いておくと、けんちゃんは翻訳本と翻訳されてない原典を比べているわけではなくそのへんは自分の興味で、原典を読むよさもあるだろうけど、「原典の方がいいだろう」って一辺倒なかんじでもなくなってきたのが面白い。自分自身がもう、日本語を土台にしてるってのは大きくて、今となっては英語で読むこと自体に旅の気分がある、それもいいんだけど、日本語でこんなことができるんだって思えることが楽しいんではないかと思う。
ちなみに、「翻訳本の読み方」で対比されるのは翻訳本と日本語で書かれたもの。