「ついで」と「わざわざ」

2014年8月14日木曜日

「ついで」に何かをしようとしてしまうことが多くなっていた。

いや、前から結構そういうことはあったけど、生活が変わって露呈したんやと思う。出勤することがなくなったから、大阪や京都の街中に出る機会があるとそのときにいろんなことを済まそうとしたり、そこに行かないとできないことがあるのに、既に決まっている予定と一緒に済ませようと待ってしまう。

そんなことばっかりしていると、「ついで」にまとわりついてた違和感に輪郭が出てきた。

「ついで」「ついで」と言っていると、全部が「ついで」になってくる。
いろんなことを一気にガサガサと片付けようとすると、「ついで」だと思ってなかったことまで、なんだか「ついで」と思えてきてしまい、生活がちっさくなっていく感じ。
自分で自分のやっていることの価値を下げてしまっている。すごく窮屈な気分になってきた。

それに「ついで」と言っていたことでも、それが「ついで」でなければやらなくていいのかというとそういう訳はなく、やっぱりやりたい。だからたまたま何かの予定とくっつけたとしても、それは「ついで」ではないはずだった。

それなのに、なんで「ついで」にやろうと思ってしまってたかというと、時間とお金の効率性を求めていたからだと思う。節約してしまっていた。

そんな効率性を求めても楽しくなれないとふっと頭に浮かび、「ついで」はあかんなぁと思いました。
電車賃を減らすとか行く回数を減らすとか、知らず知らずのうちにそういう考えが普通になってしまってたけど、それがポロッと取れて気持ちいい。
例え「ついで」に見えてもなにかをやるのはいつも「わざわざ」。だったら正直に「わざわざ」やりたい。


そして今日は、パソコンを売りにわざわざ出かけました。これもちょっと前までは「ついで」だった。