クエンティン・タランティーノ「ヘイトフルエイト」を見た。

2016年3月26日土曜日

演劇・映画

(ネタバレかもしれません。)
タランティーノといえば「関西デジタルホン」の「しゃべりタランティーノ」。



もう20年前になるらしいこのCMはよく知っていたけど、
タランティーノが映画監督だとしっかり認識したのはこの何年かで、
それから「キル・ビル」「レザボア・ドッグス」「パルプ・フィクション」を観た。


「キル・ビル」を観たときは、
やたら滅多と繰り返される殺人シーンに衝撃を受けながら、
あるような、ないようなストーリーに翻弄されていた気がする。
今回の「ヘイトフルエイト」は、少し余裕が出てきたのか、
観た後、ストーリーとしてはもやっぱりどうしようもない、
という気分になりながらも、
いちいちかっこいい映画だと思った。

吹雪のシーンも、
ドメルグの革のコートも
異常とも思える怒鳴り方も、
音楽も。

かっこよさとか、雰囲気が、
最初から最後まで同じように貫かれていた。
いつでも誰かが死ぬかもしれないみたいな緊張感とか。
そんな雰囲気を堪能して、
ストーリーとしてはほとんど何も起こらなかったような
そんな気分にさえなる。

時代劇、というか、
南北戦争からそんなに時間の経っていない時代設定というのは
観るまでしらなかった。
激しく描かれる黒人差別の様子に最初はびっくりしたが、
観終わる頃には、そんなことは気にならなくなっていた。
あまりに当たり前の彼らの会話というふうで、
多分、こういう時代の、こういう人たちを描こうとしたときに、
そのように描くしかなかったというふうに思う。

思い出したのもwikipediaのThe hateful Eight(まだ日本語のページがなかった)
を見たからで、それまでは忘れていた。
読んでびっくりしたけれど、
差別問題の他女性問題も指摘されている。

ジョン・ルースが壊したギターが、
レプリカとすり替えるのを忘れた博物館から借りてきた
アンティークの本物だったというのは笑ってしまった。


余裕が出でたのか、と最初に書いたけど
それでも銃声がある度にビビりながら、
「もうやめて」「誰か生き残ってくれ」「あああ」と緊張しながら観ていた。
一緒に行った隆はそういうのは慣れたらしい。
わたしも随分慣れてきて思うけれど、
「ヘイトフルエイト」も他のタランティーノの映画も
そういうのに慣れた方が細部が見れて面白いかもしれない。