夜の遠さと、死の遠さ。

2017年2月22日水曜日

書くこと

珍しく10日間ほどあんまり動けなくなっていた。知らない間に疲れが溜まって力尽きたって感じで、珍しいと言えど、子どもの時にはよくあったことだったし、もっと長い期間そうなり続けていた。そういうときは時間の流れが変わってしまう。自分を前へ引っ張ってくれていた気がする未来みたいなものがなくなって、停滞している。朝起きたら普通に着替えられる自分を思い出すと別人のように感じる。本当に、時間が変わってしまっていて、今と過去との連続性や、今と未来との連続性が薄くなる。一日がとてつもなく長く感じて、次に眠たくなるのがいつなんだと途方に暮れながら待っている。ただ、今という時間が膨大に迫る。夕日が入ってきてほっとする。夜が来て、いつかは眠たくなるだろうことを知っていはいるけれど、それがとても遠い日のことのように思う。死ぬことを知っていはするけれど、いつ死が来るかをしらないように、夜が来ることを知りながら夜がいつ来るのかがわからなくなる。夜が来て、すぐに眠りにつけるわけではないけれど、夜の重さが自分以外の人の息も押し殺すような気がして、自分の時間にあまりに違う時間の人が入ってくる危険が減ったと思って少し安心している。こういう時間は、しんどい時間なんだけれど、こうやってずれてしまっている自分のまわりにいる人もしんどいんだろうなということを初めて考えた。

過去のことをたくさん思い出していた。こうやってたくさんの時間を過ごしたことを思い出していた。多分、書こうという動機はそこから生まれていて、長い間思い出さなかった自分という人たちを思い出してしまったから。今、書かないと忘れてしまいそうで、また、今までは忘れようとしてきた人たちでもある。

夜の遠さと、死の遠さが似たようなものになってしまう時間が自分にはあって、そういう時間のなかに随分と長いこといた。細かく出来事を書こうとすると少し崩れ去ってしまいそうな世界で、時間的にも空間的にもどこにもいけなくて、とにかく家にいることが多かった。

自分というものが小さくなる時間のように思う。社会とあまり齟齬なく付き合える時には現れないような意識で自分以外のものを強く感じて、どう関わっていいのか、人間一人ひとりの単位でよくわからなくなるし、関わりたくなくなる。そもそも動けないから、要望に答えるのは苦痛だし、自分の時間を乱されることもすごく嫌になっている。




振り返ってしまえば、「保育園中退」みたいな笑ってしまえるようなものとして、こういう時期のことを言ったりする。思い出してみると、そんなふうには笑えなくなる。同じ時間のはずなのに。