2月25日の「絵を描く会」。

2017年2月25日土曜日

絵画

「絵を描く会」、終わりました。
今回は、絵を描いた後、作者は説明をせずにタイトルだけつけた状態で描いたものを発表。説明なしで絵を見た自分以外の人が何を思うのか、緊張もするけれど、それをそのまま聞けるのは面白い嬉しい。自分がやろうとしていることがどんなふうに、どれくらいそうなっているのか、わかる感じもあり、思わぬところで自分の意図が現れていたりする。今日描いたものは、描く前にした話のなかから描こうと思いついたものだったので、構想がまとまりきってなかったけど、絵を見ての話を聞きたあと自分の考えていたことも説明して、また前に進もうかと思えた。

面白かったのは、完成度は意外に簡単に上がってしまうという話。ほんとうに何度か描くと見栄えはある程度出せる。隆が口にしたけど、最近、自分がずっと直面していることだった。大概の場合、描きたいことをそのまま描くのは難しい。なんとか表現したいけど、しようとして、完成度が全然上がらないということが起こるなかで、完成度を上げられる絵を描きそうになってしまう。完成度が高いというのは、パット見た時に味があったり、統一感があったり、いいねと思えたりということやけど、完成度をあげることで、表現したいことを見失ってしまう、表現したいこと自体が削がれてしまうということが起こることがある。最終的には完成度を上げて、表現したいことを表現したい。でも、道のりの途中で表現したいものを見失うほど完成度が気になることがある。葛藤。

今日、描いていてもそういうことが起こっていて、ある程度描いたところで手慣れた完成度の方へ向かいそうになって、「ちょっと待てよ」と、失敗しても、わけわかんなくてもいいから、思うものを描いてみよう、と切り返す。描いたもののタイトルは、『自画像‐絶対者がいたら』。絶対者というのは今読んでる『無為の共同体』という本によく出てくる言葉で、「神」と言い換えてもいいくらいのもの。自分の中にはキリスト教の一神教的な神はいない。でも、もしそういう絶対的なものがいるという世界を仮定して思考する、そういう自分というものを自画像として描いてみようとした。いきなりそんなことして、まとまって描けない。でも、その道のりの途中にいると思えるのは悪くない。

まあそんな無茶な絵やから、散々話して、最後は「ギャグ漫画」の表紙みたい、と笑ってたんやけど、めっちゃ真面目にやって、ひっくりかえって笑える感じは好き。

次回は3月12日(日)です。
次は、描くものを決めて描く会で、北村紗知子さんに来てもらって描きます。