柔らかな出偶の即興劇「かるちぇ」。

2017年5月15日月曜日

演劇・映画

もうひと月ほど前になるけど、友人のかぜのすけがやっている即興劇のワークショップに行ってきた。このブログで前に書いていたけど、まさか自分が即興のなにかをやってみたいと思うとは思ってもみなくて、でも面白かった。

ワークショップでは、いくつかのワークをしながら、後半は参加者の一人の話を聞いてそれを他の参加者で劇に演じるというのをやる。演じる方は複数人いるけれど、誰がどの役を演じるかとか、どんなシーンを演じるかとか、全く打ち合わせをしない。セリフを話してもいいし、サイレントで演じててもいいし、少し楽器が置いてあるのでそれを鳴らしてもいい。

話を聞いてすぐに始まる。どうしようかものすごい勢いで考えていて、話を聞いたときの言葉や感覚と今をずーっと行き来しているような気分になった。もっと考えたいけど、周りは演技を進めていて、突然絡まれたりする。しかも、自分がやろうと思ってたのと別の役の想定で話しかけられている(笑)。別にそのまま自分の思った役をやり通してもいいんだけど、その時は役を変えることにして続ける。

おもしろなーと思ったのは、自分がやっていて自分なりにできているなという感じとか、わからなくてできない動けないという感じとか、こういう演技は恥ずかしいって感じとか、割と鮮明に持てること。悔しいとか、できたできた、とか自分なりにある。もちろん話をしてくれたひとがいるので、それで自分ができたと思えてもその人がどう思ってくれるかはやっている時にはわからないんだけど。

だから、そういう意味ですごく緊張する。こうだ、と思って自分の解釈で踏み込むときには。そして、この場はほとんどそういう瞬間の連続だった。会話では見えてきにくい詳細の理解とか理解の違いがあからさまに見えてくる感じがした。今、思ったのは実際には話を聞いて、あれば質問などしてもいいと思うんやけど、ここで話を聞くのは会話というよりはどちらかというと本を読むとかに似ている。話している人のある種の閉じられた世界がある。

自分の話をして、演じてくれているのを見てるのは見てるで、驚きがある。自分の話、そんな風に聞こえるのかーって。なんか、ものすごいそわそわした。そわそわしながら、また誰かの話を聞き自分もまた演じる。ずっと緊張感。

即興というものが広がる日でもあった。即興ってもっと自分がやっていてできた、できないの判断のつかないものという印象がなんとなくあったけど、こういう即興もあるのかって。自分が前から知っている、作り込むということにとても近しいような感じがある即興だった。