第0.5回まるネコ堂芸術祭を終えて。

2020年11月2日月曜日

まるネコ堂芸術祭

出展者のみで翌日にレビューを行い、それでさすがに一段落した気分になった。

わたしにとってはこういった形の発表は第0回に続き2回目になる。
前回と比べて今回はこうしようということを考えた。

一つは、スライドは必要なら使うということで、無意識に前提とするのをやめた。
もう一つは、ゴリゴリに原稿を作った。前回はメモ程度だった。

どちらもよかった。
スライドは自分がやりたいことに対して、あまり向かないと判断して1枚だけ使った。

原稿を書くのはさらによかった。
ちゃんと文章として読んでも大丈夫なくらいの密度で書いた。台本みたいなものだから、そのまま見せる気はまったくない。でも書くことで考えが進んだ。
表現というのは自分のなかにあるものをそのまま出すわけではない、出そうとすることで変わっていく。今回は書くことでより精密にわかっていく感じもあったし、書いていてより考えが進んだところも具体的にあった。

なんとなく自分でもわかっていたことをしゃべるつもりで、すでに大体はある頭の中のイメージを発表したことは確かだ、でも原稿を書かなければ絶対にこんなふうには話せなかったし、原稿を書くことでたしかに変化した。

かなり早口で話したし、自分がまだ取り扱いが難しい部分の話をしたので、正直言ってどれくらい伝わるのか不明だったけれど、翌日のレビューを聞いて、伝わっていた部分があるということを知って安心した。

カエルさんが、こうやって芸術祭に向かってきた、そのやってくる、していくということ自体が面白いというようなことを何度も言っていたが、ほんとうにそれはそうだなと聞く度に思った。

まだまだだった、ここからなにかできると思っていることが、その事自体がなにかなんだと思う。そういうことがまるっきりなくなってしまえば、表現することもないのだろうし、それはそれで悪いことでもないのだろうけど、少しさみしい気はする。


発表の準備や次の制作を考える中で、気づいたことがわたしはアートじゃなくて美術をやりたいんだということだった。
美とはなにかということをちゃんと考えようと思った。
レビューで大谷隆が、長らく美術を志してきたくせに今更、やっと考えるのか、と突っ込みながらも、その姿勢自体は非常にポジティブに評してくれた。

それは、まさにそういう場所だ。
本当に、今更かと自分で自分に呆れ、責められてもなんの言い訳もできないところであり、同時になにかをはじめて行こうとする場所だ。
やりたことが、美であることも術であることも、忌避もせず、信仰もせずやってみれる気がしている。


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○11月14日〜16日:キャラペイス 秋の展示会2020

○12月15日〜12月21日:言葉の表出、冬合宿2020

2019年6月1日発行雑誌「言語6」に寄稿文が掲載されました。