年末のひと仕事、終了。

2019年12月14日土曜日

絵画

年末のひと仕事が終わった。年賀状デサイン。自分のではなく、父親の。身内だがお金も頂いている。もう、2014年からずっと年末頼んでくれている。

保存したファイルを見返した。

最初の頃は、誰か自分以外のために描くということがうまくできなかった、そういうことをほんとうに楽しめるようになったのはこの2−3年だろうと思う。元美大生の悪い癖ではないかと思う、絶対絶対自分のためにやるのだーみたいなところは。ある年、父親が好きに思ってくれる感じに描きたいと思い、それが面白いことだと思えた。今年は、受け取ってくれる人が、面白がってくれるものを描きたいとかなり自覚的に思えた。あわよくば、来年も楽しみだと思ってほしい。だからと言って自分の描きたいものを描いていないわけでは全くなく、これ以上ないというくらいに自分が挑戦して描いている。

受け取る人が面白がってくれるもの、父親が送るのを楽しんでくれるようなもの、自分が挑戦して描けるもの。それが今年の意気込みのまとめ。

こういうふうに思えるようになったのは、ほんとうにこの仕事のおかげでありがたい。

いつも考えているイメージの一つは、和風だけど新しく見えるもの。年賀状だから、ちょっと和っぽくしたい。さらに今年は子ということで、ワチャワチャといる感じ。好きに遊んでる感じ。このへんからスタートした。

できた。

ちょっとここに制作物を載せるわけにはいかないけど、楽しいものができたと思う。これを受け取る人は是非お楽しみにくらいはいいたい。

「自分らしさ」と「てくせ」というのは、同種のものなんだろうと思う。年賀状に関しては、こういう感じになっちゃうなという部分ができつつある。良い方にとらえれば、そういうふうにやればある程度のクオリティーが出せるというポジティブな面でもあり、ほっておけばそのやりやすさに捕まってしまうというふうに捉えるとやっかいさでもある。どちらにしても、自分があるていどものごとをやってきたという基盤に根ざしている。うまく描けることの道だけにとどまっていたくないというか、なにもできない頃は、いろんなアイデアがフラットにあるように見えたけど、今からはちょっとやりやすい方によせちゃうんじゃないか、とか心配になった。ほんとうは、何もできないと思っていたころのほうが道は少なかったはずだけど。どっちみちまだ大したことはできないのだけど、描いていくアイデアがうまくできる範囲内だけにとどまらないように、広く取りたい。