言葉の表出、冬合宿2020、終了。

2020年12月23日水曜日

催し

冬合宿が終わった。
10回目の合宿で、すべて主催してきた。

とはいっても今主催だと言える意味で主催できたのは、7回目くらいからで、それまでは共同主催の大谷隆が実質やってくれていたようなものだったと振り返ってみれば思う。
7回目である冬合宿2019は3人の共同主催だったが、そのときには随分意識が変わっていた。その直前2019年11月に大きく考えの変化があった。ただやるということとともに決断や責任という言葉を十分に意識するようになったのがその時だ。

その後わたしが一人で主催する合宿をやりまる1年が経った。
今回、大谷隆に助けられるところもあった。
この1年の合宿の中で一番むずかしかった。

4年前に、合宿をはじめてしばらくは、自分自身も合宿がないと書けない、合宿はとてもいい、そう単純に思える部分が大きかった。

合宿を何度もしたり、その他いろいろな要因で日常的に書ける力がついてきた。
そうすると、本当に合宿でないと書けないのか、という疑問が湧いてくる。

そのことは自分が何故やるのかという部分に大きく影響してくる。

合宿をしてきて、なにかを提出できなかった人はいない。
いつも読むのも楽しかった。ほかの人が書いているのも嬉しい。
それは本当だ。
開催前、参加者が書けるようになる、参加者ができるようになるから嬉しいという理由が頭のなかによぎっていた。
今までは、自分が主催する喜びや、自分が書く喜びが大きかった。

参加してくれる人が書けるようになって、それが嬉しいのはもちろんある。でも、それだけが理由になってしまうと、釈然としない。そのように謳って、そのようにやられていることがあっても悪いわけではないだろう。でも、今の自分はそれだけではおもしろいとは思えなかった。

合宿に関して勢いでできる部分は終わってしまったように思う。
まんねりと言えるくらいの力がついてきた中で、何がおもしろいのか。どうするのか。
そういうことが結構おもしろいのかもしれない。
そのことがなくなってしまうと、人のためだけにやるか、辞めてしまうかどちらかになっていくように思う。今回の合宿はちょっとした分岐点だったのかもしれない。

合宿中、そういうことをうまく考えられていたわけではないけれど、今、そういうことが言葉になる。

次の合宿の予定は経っていない。
合宿前は、どうなるかわからなかったが、今は次のことも考え始めている。なにかやりたい。
少なくともそう思えるようにようにできた。
合宿でないと書けなかったと思うことも書けた。


参加してくれた人、はじまりの話とレビューを担当してくれた大谷隆には本当に感謝してます。
感謝するとか、助けられたとかそういう気持ちは、やりたいことを自分でやるということをやったときにやっとわかるんだなと思いました。

これからもっと面白いことをしていきたいし、面白い人になろうと思ってます。



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 ■ 大谷美緒の催し&お知らせ ■
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◯開催中(単発参加可能):吉本隆明『言語にとって美とはなにか』ゼミ第3シリーズ 全13回

○第1回まるネコ堂芸術祭出展者募集中

2019年6月1日発行雑誌「言語6」に寄稿文が掲載されました。