大変さに安住している場合ではない。

2015年1月24日土曜日

明々後日の1月27日からCARAPACEの自宅工房での展示受注会で緊張しはじめた。「展示」と言うからには、とにかく何か準備をしなきゃと思い、焦ってとにかくいろいろやって寝不足になっていた。

それがちょっとおかしいぞと思って、考えてみるとどうやら「大変」になろうと忙しくしていたようだった。大変になってさえいれば大丈夫。大変だったと言いさえすれば展示内容の如何に関わらず言い訳できる。そんなところがちょっとあったような気がする。やっぱりそれはおかしい。

普段通りのことを、普段通りのまま見せれればいいんだと気づいた。カバンは約2年間の積み重ねでできてきた、工房も含め家についてはリフォーム前から散々隆とともに考え今の状態にある。今まで日々を積み重ねてきたように、あと残りの2日ほども積み重ねることしかできない。この2-3日でもし特別にできることがあるとすれば掃除くらいではないか。

なんで大変至上主義に陥ってしまったかといえば、そういうことをしていたからだろう。芸術大学の院にいたとき、展示前といえば忙しくなり、時には徹夜していた。私がやっていたことに積み上げは希薄だったと思う。そして頼るところは展示直前の「大変」だった。

大変になるな、徹夜なんかするな。そう言いたいわけではなく、徹夜したとしても、徹夜そのものに価値があるのではなく見られるのは積み重ねられた知識や技術や思考の確かさの方だろう。

以前「大変度合い」でしか勝負してなかったころとは比べることができないピンっと張った緊張の中にいる。


2年前はじめて作ったリュック。