「自分にとっての表現とは」の広がり。

2022年7月29日金曜日

生きていくこと

絵を描く機会が増えてきたからか春頃には、表現とは自分にとって絵を描くことだ、と割と強く考えて他と区別しているところがあった。

妊娠してつわりもあり、ちょっとした入院もありで、一日中絵やキャラペイスに直結することばかりできず生活が随分変わった。

家や道具の掃除等によるメンテナンスの時間が増えた。会場整備という気分もある。
カバーが壊れているなど使えなくなっていた座布団を直したり、衣服について考えることも多くなり、陶器の金継ぎも始めようかとしている。


掃除や座布団カバーを展示したり、わざわざ人に見せようとか、これを直接お金になんて考えないが、これも自分の表現だなと思うようになった。
仕方なくやっているというより、自分やこの場所を形作っていくなにかであり、無視できない。ゆっくりとだが着実になんに対しても丁寧に取り組めるようになってきた気がする。

まるネコ堂にいたり、外に出ても人が自分のいろんなことを見てくれていることがわかる。
ちょっとした服装や、姿勢(態度という意味も、身体的な姿勢の良し悪しも)や持ち物。家の掃除の行き届き具合をにおいで感じる人もいる。割と置いてある物も細かく見ている。

口に出す人もいる、言葉になってはいなかったり、何も言わない人も多いだろうけど、人の感覚というのは結構鋭敏だなと思う。

よく見せるためにやるというよりは、自分がよいとか面白いと思ってやったことはわりかし見てもらえるものだと思う。

自分が積極的にやれることが増えてきたという意味でも自分の表現は広がったし、「展示」などの形で見せるものではなくても人が自分の全体をどうとらえるか変化していくことをしているなと思った。

文章を書くことも、少し前のように小説を書かなくなったので、もう自分の表現ではない気分になっていた。でも、「作品制作」はしなくても、また書くことを作自分にとっての何か重要なこととしてできている感じがして、ワクワクできるようになった。

こう捉えられる方が、なんとなくいつも楽しい。