「ソフトクリーム」という体験。

2022年8月6日土曜日

子どもとの生活 食べ物


新(あらた)が「ソフトクリーム食べたい」というので作ることにする。

この話には前段があって「アイスクリーム、食べたい」というのでひと月ほど前にそれはそれで作った。

「買ってくればいいじゃないか」という話かもしれないけど、自分で知る限り新の初めてのアイス体験。自分がおいしいものを食べたいというのもあるが、せっかくならおいしいアイス体験をして欲しいという気持ちもあってアイスを作った。

ところが新の様子がおかしい。
アイスができていくにも関わらず、アイスはどこにあるのだという顔をしている。
「三角のやつは?」「やわらかいのどこ?」とか言い始めて、欲しかったのはアイスクリームではなくソフトクリームであることがやっと判明。
アイスも喜んで食べてくれたが欲しかったものが手に入ったわけではない。次の課題にソフトクリームが浮上する。


でも、わたしもアイスくらいなら作ったおぼろげな記憶もあるが、ソフトクリームは買って食べてイメージしかなく結構面倒な気持ちになる。いや、買えばいいのだろうけど。面倒ながらもなんとなく自分にも作りたい気持ちがあって、調べてみるとどうやらできるらしい。

それでも億劫さはあって、実際に作ったのはアイス制作からやくひと月後の7月31日になった。

準備1 前日ミーティング(7月30日夜)

ざっくりとは調べていたが前日にレシピを選んで、買い物リストを作る。

ソフトクリームのクリーム自体は、この動画を新と見ながら材料と手順を紙に書きだす。

「コーン」まで作るんかい、という感じだけど、新の頭のなかにはコーン付のソフトクリームがあるに決まってるんだから作る。
リンク先の作り方を読み上げながら、これも材料と手順を紙に書きだす。



最後に、買わないといけないものリストをまとめて前日準備は完了。


準備2 買い物(当日)

暑い日だったので、9時オープンのフレスコめがけて買い物に行こうと提案する。
出発前にひと悶着しながらも9時前には家を出て、新の足なら片道30分はかかるそれでも最寄りのスーパーまで出かける。

氷の入った水筒を持ってみんなで飲みながら、帰りは牛乳など重い荷物を持って帰ってきた。朝から日差しは強く自分ももうすでに疲れている。新、よく頑張った。

休憩

1時間以上はかかった買い物。帰ってきてすぐ作る気にもなれない。
もう今日作らんでも、くらいの気分になる。
休憩。

コーン作成

11時前にはそれでも作りはじめられたか。もういろいろ作るのは大変なのでアイスをお昼ご飯にしようと決めていた。

アイスクリームコーンなんて作ったことない。
まずは、あの円錐形にするために型を作る。なんと厚紙とアルミを使った工作から始まる。

新はとても嬉しそう。

そして、やっと生地。
この辺は新もできることが多いので混ぜたりいろいろしてもらう。

さあ、焼くぞ。



書いてある通りに両面で5分ほど焼いて作った型に巻き付ける。
計6個を順番に。

冷めてくると生地が固くなってあのコーンになるらしい。
しかし、少し冷めたものを確認しても一向に固くならない。

何故か・・・今回はあかんかと考えて、生地を再度焼き直す。
焼き加減が足りてなかった。なんとかこれで固くなる。

初めてのことなので、書いてあるとおりにやったつもりでも塩梅が違ってうまくいかない。こういう小さな見通しのつかなさが随所にあって、疲れてくる。

スムーズにいっても30分くらいはかかるコーンづくり、1時間以上かかったかな。
熱い。立ちっぱなしで疲れた。

クリーム作り

こっちは、材料を合わせて、それを氷水で冷やしてからさらにガンガン固まるまで混ぜるだけ。
手順こそかんたんだけど、30分くらい混ぜる。

できることはやってもらっている新。
でもやっぱり限界があって待っている時間が多い。
余計なこともたくさんやっている。
そこに置いて置いてほしい、と言っても、あっちに持っていく。そこで使うんじゃないからと言っても動かす。

自分も初めてのことでよくわからない。できれば失敗したくない気持ちもあるから余計なことをされるとイラつきもする。できる限り成功するルートを取りたい。考えることはいろいろあるから、そこで消耗したくない。省エネしたい。
でも、そんな私のイライラは一向に気にならないくらい新は楽しいらしい。

とても嬉しそうに浮かれている。
こっちはいっぱいいっぱいだがそれでも浮かれていること自体は伝わってくる。
余裕がないので態度にまで表せないが、よかったと思う。

クリームはクリームでいつになったら完成か見通しがつかない。
こういうのが疲れるが、それでも約30-40分でそれらしくなってきた。

盛り付け、食べる

絞り袋に入れようとすると新は大興奮。
コーヒーでも飲みたい気持ちになるが、溶けるソフトクリームと待てない新でそれどころではない。

盛り付けなんて気の利いたことにはならない。
コーンにクリームを押し込んで、食べる。

めっちゃおいしい。
正直言って、コーンもクリームも今まで食べたソフトクリームの中で一番おいしいと思った。

見た目に気をつかうことは到底できなかったけれど、美味しかったし、新も楽しそうにしていた。


食後

かなり疲れた。片付けは隆がてきぱきやってくれていた。

新はまた作りたいという。

そう思ってもらえてよかったと思うけど、もうこの夏はええやろ、と思う。来年、というと特に文句はないらしかった。大変というのもあるけど、食べた満足感もめっちゃ高い。


一息つく。

「ソフトクリーム」という体験が歪められた気分になった。
「ソフトクリーム」といえば、暑いときに、観光地とかで、お金を払えば1分で出てくるもの。
疲れをとるため、涼をとるためのちょっと贅沢な食べ物だった。
家で食べるというイメージはそもそもない。

この一日、必死でソフトクリームを作ると、そんな光景に似つかわしくない、汗まみれで、疲れて、上手く作りたいという必死さみたいなものが「ソフトクリーム」という言葉と光景に加わってしまった。

新の今日の体験は私のとまた違ったものだろうけど、新の「ソフトクリーム」と自分の「ソフトクリーム」という言葉、その言葉の醸し出す雰囲気は全然違うんだなと思ってびっくりする。


自分が「ソフトクリーム」と言ったときになんとなく関連させる、観光地、マクド、屋外、日差し、みたいなものとは全然違うものがあるだろうことに驚くが、よく考えるとすべての言葉がそうに決まっている。

考えてみれば当たり前のことだけど、そのことを意識して考えてしまうソフトクリーム体験になった。