妊娠中の考え事。「楽しさ」の含む広さ。

2022年8月23日火曜日

子どもとの生活

わざわざ子どもを欲しいと思い、産むのはなぜだろうとそういえば最初の妊娠中に考えたけど、その時の答えが「面白そうだから」とか「楽しそうだから」とかそんな感じだったと思う。

正確な読み、というのも変だけど、実際面白くて楽しいし、だからもう一人来て欲しいなと思い二人目を妊娠中だ。

でも、前回と違うのはあまり知識がなくてこの方向に来ているんではなくて、面白いし楽しい、と言いつつ、思いっきりイライラすることがあったりすることも知っているし、喧嘩もすれば、風邪やなんやら心配事も多いということも知っている。

妊娠中だけにしても、すでに絨毛膜下血腫という症状で短期間だけど入院したり、全体的には赤ちゃんは順調とは言え、便秘だったり、足が疲れたりなどなどの普通ならないような不快は普通に起こる。つわりだってしんどかった。
それでも、致命的ななにかがなければほんとに幸いだし、多少の日常的な不快があろうとうも順調だと自分でも思う。


世の中には、子どもを二人以上産む人もたくさんいるわけで、その中にはもちろん一人目の妊娠においてわたしよりきついつわりや、何らかの理由で長い入院生活を送る人もそれなりにいるんだろうと思う。

それでもわざわざもう一人子どもを持とうとする人がいる。
自分自身二人目を妊娠中なんだから、それが理解できないわけではない。

でも、同時に不思議な気分もあって、それは「楽しい」だけじゃない、大変なことを含むなにかを積極的にやるひとがそれなりにいるということに対してかもしれない。

もう一回ひっくり返すようになってしまうけど、不思議だけどそれはそういうもんだろうという気持ちも普通にあって、人が快楽のためだけに生きるものとも思えなし、死なないためだけに生き続けようとするものとも思えない。


考えてみれば、子育てのみならず、様々な場面で「大変」とか「不快」とか、心地よくない状況は「楽しさ」や「面白さ」の近くにあったように思う。自分にとって大事なことをやろうとすれば、不安や失敗や後悔だってあるものだし。
子どもとの生活が「楽しさ」だけに満たされているわけじゃないけどすごく楽しいと思っている今の経験が、他の生きていく側面の複雑な面白さということも理解する大きなきっかけになっているように思う。