琳派展をみてきた。

2015年10月29日木曜日

美術館・展示

京都国立博物館でやっている「琳派京を彩る」を隆とみてきた。

夕方4時半に会場頃着くとまだ館内は混雑していて、それでも1時半頃に一度目に来たとき90分待だったのを考えると随分空いていた。

絵としては主に、俵屋宗達、尾形光琳、酒井抱一を取り上げた展示だったけれど、好みで言えば俵屋宗達が圧倒的に好きだった。

宗達の絵の前にはその絵の空間が広がっている感じがして、その絵の空間にいながら絵を眺めることができる。

今日は3人の書いた風神雷神図屏風が展示されていた。

宗達の風神・雷神の目線は「なにか」を眺めた虚ろな目線のようで、お互いを意識しあっているようには見えない。一方、光琳や抱一の風神・雷神の目線はお互いの存在を意識しそれぞれを見ているように見える。

風神の描かれた屏風、雷神の描かれた屏風はそれぞれ少しだけ離して置かれている。宗達の虚ろな目線はお互いを意識していないから、この少しだけ離れて置かれた風神と雷神の間の距離が私には一体1メートルなのか、100メートルなのか、地球のここと裏側ほどに離れているのかわからなくなる。

その「なにか」を眺めた目線は明らかにお互いを意識はしていない。もっとこちらを漠然と見ているようだ。きっと見下ろしている。多分その「なにか」のなかに私がいるときもあるだろう、と思う。

そうやって私は風神・雷神と同じ空間にいたし、まわりにいた何十人という観覧者もその空間にいたという気になる。


他の宗達の作品でも、絵を観るというよりは、絵の空間に入って眺めている気分になることがあった。私が私の世界から絵を対象として見ているというよりは、絵の世界に入ってしまう。映画館で一番前の席に座って、視界全面スクリーンで映画を観るような感じにも似ていた。そんな気分にさせられるのがゾクゾクした。