時間を盗んで!

2012年1月14日土曜日


「時間なんか盗まれてしまえばいいのに」と思ったときにミヒャエル・エンデの「モモ―時間どろぼうとぬすまれた時間を人間にかえしてくれた女の子のふしぎな物語」を読むことに決めた。「時間どろぼう」っていったいなんなんだ。「モモ」をちゃんを読んだ覚えのない私には「時間どろぼう」の意味が分からなかった。

時間を盗んで欲しいと思ったのは、時間ばかりを意識してそれ以外に何もしていないような気になることがしばしばあったからだ。時間を盗むというより時間のことを考えすぎてしまうことをやめる方法を知りたかった。

「モモ」を読み進めていくと、モモが人の話をちゃんを聞く女の子だということがわかった。モモが話を聞くだけで人々は変わっていく。ちゃんと話を聞かれると本当に自分が考えていることが何なのかわかってしまう。だから、モモと話すと少し恥ずかしかったりびっくりすることがたくさんあるのではないかと思った。そして、その人が問題を抱えていても解決してしまう。

モモは話すことも他の何事もおざなりにはしない。常に集中していて、時間を意識しない。ここでもう私の時間が盗まれているということに薄々気づいてしまう。

第一部に登場する話をよく聞くモモ、街の人たちの生き生きとした様子、現実と空想の境目がわからなくなるくらいに集中して遊ぶ子どもたちはとても印象的だった。それはおそらく、こうであればいいという理想的な姿の提示だからだろう。

第二部以降でそれと対比されるのが私だ。「こんな時代だからしかたない」「お金があれば」。時間を盗まれた人々が言うことは、今までに一度は言ったことがあったり聞いたことがあることばかりだ。もう時間が盗まれていたということがどんどん明確になっていく。彼らはとても今に不満足で、いつかはこうではない暮らしを送りたいと考えている。

私は本を読んでいるときや何かをしているときに、既に次は何をしようかとか考えていることがある。予定をほとんど考えなくていい生活を送っているのに、何故そんなことをするのか?時間を盗まれた人と同じように「将来いつかいまとはちがった人生を始められるように、いまから時間をためておこうという決心」をしてしまったのかもしれない。それが窮屈で「時間なんか盗まれてしまえばいいのに」と思い至ったのだろう。でも、時間だけを意識し続けないためには時間を盗むのではなくて、本当は時間をとりかえさなければいけないことがわかった。時間を持っている人はそもそも時間をこんなには意識しないんだ。

時間を取り戻す方法は?モモのように話を聞くことではないかと思う。自分の話も人の話も。盗まれた時間を解放する方法をモモに教え、解放の手伝いを頼んだマイスター・ホラも「わたしの言うことにもよく耳をかたむけてきれて、とってもうれしかったよ。」と言ってた。もう一つは、あまり不安を動機にして動かないこと。時間どろぼうは人を不安に陥れて時間を盗んでいく。

モモを読み終わって気にかかったことがあった。「時間どろぼう」と誰かが言うとき、ほとんどの場合に「モモ」のとは意味が違っていることだ。ぼーっと考えこんだり、友だちと話し込んでしまい気づいたら時間が経っていた、そんなことを「時間どろぼう」と言うのを聞くことがある。「モモ」の中ではそれは「時間どろぼう」たちが嫌がる行為だった。思わぬ時間を過ごししまったことを振り返り「しまった時間どろぼうに時間を取られた」と思っている人はその間は時間どろぼうの餌食になっていない。むしろ、そう考えはじめたときに時間が盗まれている。

ほとんどの人は時には時間どろぼうになるし、時にはモモになるのだなと思う。予定なく時間を過ごしてしまったことを悔いたり罵ったりして時間どろぼうになる。また、予定外に話し込んでしまったり、夢中でなにかをしてしまったりしてモモになる。

小さい単位の予定はあるけど、人生のスケジュールのような予定なんてないのだから、計画通りにいかないことやゆっくりに思えることが本望であったり近道であるように思えてきた。