「読む・書く・残す」探究ゼミ、通称「書く講座」をやります。
宣伝に少し書こうと思ったら、
なんかたいそうなことになってきたのでブログに掲載。
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講座に参加し、大谷隆の文字というものに対してものすごく細かく語られた言葉を聞き、そして、その視界をして自分でもその細かさを試みることは、文字読むだけでなく、絵を見ることや、音楽を聞くという世界も変ってきたように思う。
吉本隆明著「言語にとって美とはなにか」を去年読んだ。
それは、一応文学の理論ではあるけれど、自己表出・指示表出という独自の概念を使った論は、文学を越えて人間の表出全般にまで届いているように思う。わたしにとって絵画の世界の見え方も、この本をよむことによって大きく変わった。
大谷隆の文字、吉本隆明の文学という彼等にとって自分に近いものをものすごく精密に語るという試みは、どういうわけかそこを突き抜けて、芸術という全般性にまで普遍的な言葉として聞こえてくる。
そういう底に触れていく感じが、書く講座と「言語美」という本が似ているところで、だからこの一年くらいの間に自分に大きな変化をもたらした。
そういう言葉を読み聞くことで、ずっと、絵を見ることや美術のことを言葉にはしにくかったけれど、ここのところ、ぎこちないながら自分にも「書く」ことが可能になり始めている。
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詳細・お申込みはこちらへ。
『「読む・書く・残す」探求ゼミ 1DAY in まるネコ堂』
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吉本隆明著「言語にとって美とはなにか」を去年読んだ。
それは、一応文学の理論ではあるけれど、自己表出・指示表出という独自の概念を使った論は、文学を越えて人間の表出全般にまで届いているように思う。わたしにとって絵画の世界の見え方も、この本をよむことによって大きく変わった。
大谷隆の文字、吉本隆明の文学という彼等にとって自分に近いものをものすごく精密に語るという試みは、どういうわけかそこを突き抜けて、芸術という全般性にまで普遍的な言葉として聞こえてくる。
そういう底に触れていく感じが、書く講座と「言語美」という本が似ているところで、だからこの一年くらいの間に自分に大きな変化をもたらした。
そういう言葉を読み聞くことで、ずっと、絵を見ることや美術のことを言葉にはしにくかったけれど、ここのところ、ぎこちないながら自分にも「書く」ことが可能になり始めている。
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