ほこりの話。

2016年12月23日金曜日

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今、言葉の表出 冬合宿2016の真っ最中。

前回の夏合宿のときに書いた文章を思い出して読んでいた。
最後にみんなに読んでもらったものではなくて、途中で書いていたもの。

久々に読んでみたら面白かったので掲載。

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ほこりの話。

 何かを始めようとしているけれど、ほこりが舞っているのでもう少し落ち着いてからにしようといつも考えている。このほこりを意識し始めてからすでに数年が経過しているような気がする。それがほこりという比喩になったのは今朝昼寝をしているときで、ぴったりくるから書いてみようとさっそく書き始めた。
 ぴったり、と書いておいてほこりのことをどう説明しようか、言葉を続けるのがいきなり頭が重い。

 フローリングの上のほこりは、少し周りを歩いたり、風が起こるとふわっと舞う。特に猫の毛なんかはそうで、それが宙に舞うと気になって目で追う。時に、肌にくっついたり、窓の外にまで出て行ったり、ほこりどうしが絡まりあって大きなほこりになったり。大きくなったので重くなって落ちてきて容易に捨てられたり。そして、箒やウエスを駆使してできるだけというか、家の中からおよそほこりというものが消えてほしいと思いながら掃除をして、終わったとたん、その瞬間から、またほこりは発生する。
 そうやって掃除をしながら、ほこりというものが完全に消えて、ほこりゼロの状態で、ほこりというものを気にせずいる時間というものを何年か夢見て来たんじゃないか。
 
 何かを始めようとしているけれど、と言うときには、できれば心の中にほこりがなくなって、少なくとも宙に舞っているために思わず目を向けてしまうようなものはない状態を想像していて、その時が来れば、それが始められるという気分が張り付いている。
 前を通った人の行動を気になるほこりを眺めるように目で追い、風やときには自分の動きで舞っていくその人を更に追いかけ、その舞に目を奪われている、こんな状態じゃ始められない、と舞が終わるのを待っている。
 ひとつ終わりかけて、ああそろそろと思ったときには次の舞が始まり、また次がと、静まりかけてもやむことはない。そう気づきかけたのは最近のことで、軽い焦燥がまた辺りをざわつかせて、まだ今ではないと言いかける。でも、辺り、というものが自分にぴったりに静かになるのを待ち続けても、ほこりが消えることがないようにどうやらそういう日は来ない。どちらかというと、辺りのほこりやなんやらが動くように自分も動けばいいんだということを昼寝の最中に思いついていた。
 それにしても、それはほこりが濛々と待っている時ではなく、ある程度ゆったりとした時ではあると思う。