beautifulの訳は?

2011年11月10日木曜日

多分今年の4月だったと思う。大学のゼミの休憩時間にカナダ人の学生が震災の写真を集めたサイトを見ようと言い出したので何人かで見ていた。
津波で潰された建物、そこにいる人々が映った写真を見て、そのカナダ人はbeautifulだと言った。その言葉を聞いて、うちも含めてそこにいた数人はちょっと驚いてしまった。そういう雰囲気が流れた。その風景や人々をみて「美しい」と言うなんてどういうことだと思った。

その2−3カ月後にアメリカ人のイラク帰還兵のインタビューの映像を見る機会があった。彼はその中でbeautifulという単語を何度も使った。ちゃんとは覚えていないけど、彼はイラクの情景やその後の生活のことを差しその言葉を使っていたように思う。この時に、震災の写真を見てbeautifulと言っていた人がいるなと思いだした。
そうしたときに、はじめてbeautifulの意味を「美しい」から切り離して考えたと思う。そしてこのbeautifulがなにを意味するのかを考えていた。それは日本人が普通に「美しい」から思い浮かべられるようなものではないはずだと思った。震災の写真に対して使われたbeautifulと似ている所があるなと思いながら、彼の話を聞いた。そう思ったことを説明しようと頑張ったけど、その時にはこのbeautifulの意味は「美しい」ではないはずだとしか言えなかったと思う。

今も上手く説明できるきがしない。どちらのbeautifulも「美しい」とは訳せないと思うけど、日本語に訳すのに適切な言葉は何だろうかと考えてみた。震災の写真であれば「痛ましい」はまだ近いのではではないだろうかとか。震災の写真を見て言ったbeautifulと帰還兵が言ったbeautifulは日本語に翻訳するならば違う訳が当たるだろうなと思う。その中でうちが共通して感じているのは、どちらも人間の生きる力に視点があたっていること。

カナダに4年も住んでいながら、うちはbeautifulを理解することはなかったんだと今更わからせられた。「ビューティー」「ビューティフル」「美しい」と日本語に存在してしまっている語を英語でもそのまま同じだなんて思うほうがおかしいのだけど、そういう言葉ほどうきっと誤解・誤訳してきた。

カナダに行ってまださほど時間が経っていないときに、「It's a beautiful day.」とホストファミリーの一人が言っているのを聞くのが好きだった。カラッと乾燥して、遠くまで空気が透き通って見えるような日に彼女はそう言っていた。日本では経験したことのない天気をうちはbeautiful=「美しい」という日本語の中に押し込めていたかもしれない。こうやって考えているうちに、beautifulの意味も「美しい」の意味も前より開かれてきた。