蕎麦を打ちに。(1) なんで打てるようになったのか。

2015年10月13日火曜日

食べ物

友人が主催している団体で蕎麦打ちを教えてくれないかと声をかけてもらい、今度行ってきます。その資料用に書き始めた文章が、書いてるのが楽しくなってしまったのでこっちにも掲載します。

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 蕎麦打ち道具のセットを買ってもらったのは中学生の頃で、でも、うどんを打つための購入だった。うどんは何度か母が作ってくれていて、初めて母がうどんを作ったときに弟が「お母さん、このお団子おいしい」とほんとに美味しそうに食べだ、というエピソードを何度も母から聞いた。そして、地域振興券で何か買ってくれるという両親に頼んだのがそば打ちの道具のセットだ。一緒に行った東急ハンズで、高いところにディスプレイされたそのセットをよく覚えている。朱色の鉢が、店内の照明で美しかった。
 それまではまな板や机などを駆使してやっていたうどん打ちに急に環境が整った。そして、蕎麦も何度かやってみたが、なかなか上手く打てずで、茹でるとブチ切れてしまう。やっぱり蕎麦打ち道具は、長らくうどん打ちに使われていたし、うどんが打てることは楽しかった。

 数年前の夏頃、初めてすごく美味しい蕎麦を食べた。香りがあんまりにも違った。「よかったら塩でどうぞ」という店主の説明に、そうは言っても塩よりツユやろうという期待はあっさり裏切られ、塩で美味しく食べた。
 あんまり美味しい蕎麦を食べたことがなかったんやなぁと気づいた。それまでは、蕎麦を打ったみた、というのも別に蕎麦が美味いから作りたいからというより、とにかく「蕎麦を打ってみたい」という欲求だった。だから一度打つとそれで満足して、ある程度うまく作れるまでやりたいという気持にならなかった。でも、そのときに「ああ蕎麦って美味いんや」ということがしっかり刻みつけられた。それは、長野県の壱刻というお店で、帰りの車でおいしかったおいしかったと言いながら帰った。

 その秋ごろから、蕎麦打ちにはまった。春に大学院をやめて、次の春に一応の仕事に就くまでの時間で、時間がたっぷりあった。週に3-5回くらいは打っていた。普通に働いてたり、勉強を続けていたら、どんなに美味い蕎麦を食べていても、打てるようにはならんかったやろうなと思う。今から考えてみると、そんな時間に、そば打ちは丁度よかったんかもしれない。

 こういうことを書きたくなったのは、今までは美味しい蕎麦を食べたから打てるようになったと思ってたけど、だから打てるようになったというのもちょっと違うような感じがしてきたからで。そういえば、この時期は家でたっぷり時間もあったなというのも思い出して、更に言うと彼氏と住み始めたので一緒に作っていくのが楽しかった。だから、この時期にいろんな条件が重なってたまたま打てるようになった。

 Youtubeなどでそば打ちの動画を見ながら、いろいろ試してみるけれど、なかなかうまくいかない。ブチブチ蕎麦の日々だけど、ブチブチであってもそこそこ美味しいのでどんどん作っていた。でも繋がって欲しい、香りももうちょっとええ感じにならへんかなといろいろ考えながら打ち続けた。
 ちなみに、蕎麦はほとんどカロリーがないのでメキメキ痩せた。父に会う度に「痩せたなー大丈夫か」と聞かれた。

 ある時、打ち方だけでなく使うそば粉によってできあがった蕎麦の繋がりやすさが全然違うことを知った。このそば粉であれば私でも打てるというものを見つけた。それまでの練習の成果もあってか、そのそば粉だと結構つながる。二八蕎麦がずんずん打てるようになった。