「言葉の表出、夏合宿2016」で書いたこと。

2016年8月16日火曜日

絵画 書くこと

「言葉の表出、夏合宿2016」をやりました。

3日間のこの合宿。正直言って、2日目の夕方くらいまでは、一体何をやっているんだろうという気分になりましたが最終的にはとてもおもしろかった。

集まっているというだけで、別に自分が書くことを具体的に誰かに助けてもらったりするわけでもないし、書き始め、書き進めていくことには結構な力が必要で、「なんだこれ、結構しんどい・・・」と何度か思ってました。(でもちなみに1日目はほとんど寝てました。)

それでも、絞り出すようにとぼとぼと書き進めて、最終日読んでもらったら、結構なことをしたんだなぁという気分が湧いてきました。ぼんやりと色んな所で考えてきたことを、言葉という形にする勇気はどこから湧いてきたんだろうかと思います。

一緒に合宿した隆とぱーちゃんの文章を読むのも、いつにも増して面白かった。
ほやほやの表出したてやからか、なんでかわからへんけど。


書いた文章です。
読んでもらったときから、誤字などだけ訂正してます。

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 「終戦記念日の翌日に玉音放送をバカ丁寧に聞き読む会」をやることになって、戦争ということに関して何か書きたくなっていた。
 わたしの戦争と言えば、大きくは母方の祖母と一部には同じく母方の祖父が話した記憶が中心にある。小さいとき母の実家の近所に住んでいたから、祖父母とはよく会い、泊りにも行った。多くの場合、眠る前のお話は金太郎でも桃太郎でもなくて祖母が小さいころの戦争があった頃の話だった。
後になって、戦争の話をしたがらない人もいるという話を何度か聞いたが、祖母はよくしゃべる人だった。わたしに話しかけているというよりは一人で語っているような雰囲気で、わたしなんかほっといて気づいたら祖母が先に寝てることも多かった。それこそおとぎ話のように、何度も同じ話を聞いたと思う。
 戦後四五年の記念の年のころ、わたしは自分が本当は戦争を経験していないことをちゃんと知った。わたしは多分5歳とか6歳とかそんなもので、どうやら四五年前には生まれていないことがわかったからだった。それまで、どう思っていたのかよくはわからないけど、弟と防空壕に入った記憶があり、明らかに戦時下のはずの鮮明な映像が頭に残っていた。それは、祖母の寝物語をそのまま夢に見てそれを現実と間違えて覚えていたとかそんなものだろうということがわかった。
 そんなふうに自分のものと思い込んでいた戦争の記憶や祖父母の話してくれた戦争の記憶がわたしにはぽつぽつと映像としてある。その映像を言葉ではなくて、描いてみたいような気が、ふと起こった。あたりまえだと思っていた自分の戦争の記憶を改めて思い出してみるとそれはちょっと変わった風景だ。祖母の小さいころの話を聞くという体験は、見たことはない世界を言葉でたどる体験だった。だから、光景を想像しようとするとき、わたしが使いうるのは、わたしが見たことのあるものだ。わたしは、祖母の話を聞きながらいろいろと想像しておそらく夢にまで見たのだろうけど、後になって徐々に、わたしが戦時下の日本の写真を見るにつけて写真と自分の記憶との違いを見つけて、どうやらわたしの記憶は視覚的には現実と違う部分がいろいろあるということを知っている。話を初めて聞いたときからずいぶん経っているから、その記憶の映像はすでに聞いたときそのままには残らずに、その後見たいろんなものの影響を受けているとは思うけど。

 戦争について考えているうちに、「書き」たかったことが「描き」たいに変わっていた。しばらくの間、何年か、どうして「描く」ということがやりたいのかわからなくなっていた。以前は「描くことが、作ることが好きだから」と答えていたけれど、そうそうそれだけでは押し切れなくなっていた。そうなると、描けなくなっていた。それと、「書く」ことの力の大きさに圧倒されていた。書くことは描くことでは満たされない圧倒的な表現領域を持っている。「描く」とこは「書く」ことで満たされるのではないか。
 表現したいと思う何かが自分に生じたとき、おそらくそれはどんな表現手段とも関係のない形で心に生じる。それを何らの表現手段に結び付けるとき、そこには何が起こっているんだろうか。今回、「書き」ながら考えているうちに、自分の伝えたいことが文章でなく、絵で表現する方がいいと思える領域に突入した。そう思えるという領域に、確かさを感じた。

 じゃあ、何故わたしは記憶の中の戦争、太平洋戦争を描きたいのだろうか。伝えたいこととはなんだろうか。ただ面白いことがしたいのかもしれないし、頭の中の映像が面白いからとにかくこれを見せたいのかもしれない。こういう理由は結構大きい気がする。
 描く過程で確かめていくだろうと思う、でももう一歩踏み込んでみると戦争を考えるのに、太平洋戦争の記憶を聞くのはさほど重要ではないのではないかと言いたくなる気持ちがあるのかもしれない。話を聞いたから描き得るかもしれない絵を前にして、そんなことを言うのは無茶苦茶だという気もする。ただ、祖母の話を聞くときの、戦争の話を聞くときの面倒くささが引っかかっている。「辛かったから、嫌だったから、もうこんな事したくないし。あなたもしたくないでしょう?」と言われているような気分にめげてしまう。
 戦後四五年のとき、「あの時辛かったから、もう二度と繰り返さない」と思える人が日本をひっぱっていたんだろう。今、自分はそういうふうには言えない。小さいころ散々戦争の話を聞いて、思い出すのが大きな落とし穴程度の防空壕に弟と確かに心細くはしているというようなことで。自分が同じく「戦争はしたくない」と言ったときに、後悔ではないところに根っこを持つだろう。
 「描く」前に「書ける」ことはもうだいたいこれくらいだ。あとはもう線を描いて、そのことから進んでいきたい。思い切って一歩踏み込んでみたけれど、描くときには「描いてみたい」と思ったところまで一旦戻らざるを得ないような気がする。そう思える部分にかろうじて描くことがある気がする。