自分の文章を書くための通年講座 2019参加レポート9(第6回精読講座 第8回言語美ゼミ 2019/08/21-22 開催)

2019年9月30日月曜日

絵画 書くこと

1.精読講座

自分が読んだときに起こった感じをそのまま言えればいいのだということがよくわかった。でもそれが、それをそのまま言葉にするということが結構難しくて、違った感じになっちゃうときも結構あるなと思った。特に、自分が思ってた感じをバシッと他の人に言われたときは、それだー!なんてうまいこと言う!って悔しい気分になる。書いた本人に言うわけなのでそのまま言うのが怖くて言葉にならないってこともあると思う。

2.言語美ゼミ

いくつか思ったことがあったけど、今回の該当部分を読んで最初に感じたのは感動だった。書いてあることの意味も以前に比べるとわかってはいたけど、そういうのの詳細を見きれる前に、なんだか感動してしまって、理論書を読んでそんなことが起こるのかという不思議な気分だった。高揚感も混じっていた。

でも、隆やけんちゃんは何年か前に1回目のゼミで読んだとき、あるいは隆はその前に一人で読んだというときにもうそういうものを味わっていたのかもしれない。

そのへんのことレジュメにもう少し書いてます。レジュメはこちら
第8回のところに「山根」で掲載されています。他の人のも読めます。

ゼミの最中に思ったのは、自分が書いたものが間違っているというのがすごく嫌だということだった。もう、そういうのはすごく怖い。今回レジュメを提出して、間違っていると言われるのはすごく怖かったし、実際他の人の発表を聞いてて自分が間違ってたなと思ったことはあった。別に自分のレジュメを誰かが否定するとかそういうことは起こらなかったので(それにそんなに起こってこなかったと思う)、一人粛々と反省を行うわけなので、何を恐れているのかと思われそうだけど、そういうことを一人やっていて思い出したのは、リュックサックを一生懸命作っていて完成したと思ったところで、よくよく観察すると型紙レベルの不備が見つかり、できたものは破棄して作りなおすことになった、という心境だった。結構しんどい。まあ、でもやれんこっちゃない、というか、やっぱり間違いの可能性を否定できないままにでも完成だと思えるところまで作らないと、型紙を直すってことはできなかったりする。

そういうふうに思うと、間違ったことを書こうが仕方ない、そういう風に書かないと進んでいけない、と思った。自分でもヒヤヒヤするレベルで作るとか書くとかしないと進んでいけない。

最後までこのゼミに出て、自分の描くことが変わったと思う。「描くこと」は誤字ではない。書くこともきっと変わっているけれど、もっと描くことはわかりやすく変わった。このひと月ほどは特に変わった。こんなことがやってみたいとかいうことが沢山出てくる。以前よりずっと描くのが楽しい。裸体を描くのになかなかうまくならなかったけど筋トレをするとうまくなったという話とか、マッサージをするのにラフデッサンに行ったというはなしを聞いたことがある。裸体を描くために裸体を描くのではなく、マッサージをするのにマッサージを練習しないというのは普通に考えたらちょっとおかしい、控えめに言っても遠回りな気がするけど、読む・書くをやって描くことが豊かになっているというのはそういうのに近い気がする。ただ描くということをやっているだけより立体的になる、という気がする。遠回りだとは思うけど、世界が広がる。最初から描くことを楽しくするために読む・書くをやるのだ、という意識はそもそもはなかったと思う。読む・書くくらいできたほうがいいという、ちょっとした劣等感の意識はむしろあったかもしれない。最近は基本的に描くことも読む・書くも楽しくなった。基本的にというのは、ヒヤヒヤはつきまとうということで、まあこのことも含めて楽しい。

なかなかヘビーですがおすすめの本です。