やっと今回金を使って金継ぎをしました。
5月から7月末ということで、夏の仕事になりました。
やっていていろいろ考えたけれど一番大きかったことはこんなこと節約でももったいない精神でもなんでもないということ。
そもそも金1g買うのに2万円近く払いました。まだ残ってはいますがでもそれで何個直せるのかも今のところよくわからないし、そもそも作業日数だけで計10日。買った方が断然安い。
あと、もし直すだけなら金を蒔く必要はなく、接着等に漆を使うだけで実は十分。
金とか銀とかは余計なこと。でもやりたい。
例えば、陶器を直すとして、金蒔きをせずになおす方法があるとする。割れたところは、黒っぽい線として地味に残る。
そして金継ぎがあるとする。
金蒔きをしないなら、金を使わない分だけ材料費も手間賃も安いはず。だけど、もし金蒔きという手法が一般化されてなかったとしたら、安いけど最低限の修理だけという手法しかなかったとしたら現代においてわざわざ器を修理に出す人は少なかったのではないかと思う。修理を自分でやる人も少なかっただろうし、自分がそれをしたかもかなり疑問がある。
そういう気分になった。
金を蒔いたり、銀を蒔いたりすることも含むからこそ、陶器の修理は現代でもなお成立しているのではないか。
今回直していること、直しながらする考え事が楽しかった。器を使うことにもワクワクした。
金継ぎという手法が、確か千利休の時代に確立されていたこと、現代に存在していることに感謝するきもちになった。
友達が、あまり感謝することのない人だった(でも感謝するようになった)と言っていたが、自分でもこのところ感謝できることが増えた。
感謝できることは真面目にやれる人の特権だという気がする。そう思うと感謝できなかったことが恥ずかしいし、もしかしたら、今後はもっと違った感謝をできるのかもしれない。
今回は作業を残すためのノートも作った。
ノートがかろうじてとれたのは身近でノートを研究していた隆の影響。
これもができたことも本当にありがたい。
まだまだ試行錯誤がいるけれど、ノートでわかっていくこと。ノートをつけることで変わっていく金継ぎの過程が楽しい。
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