手にとって一人か二人で見るような絵。細見美術館「春画展」を見た。

2016年3月30日水曜日

美術館・展示

最近ちょくちょくできている美術館の前の長蛇の列。
もうひと月近く前になるけど、細見美術館「春画展」を観に行ってきた。

最近はちょくちょく美術館の外まで長く列が伸びている。近くの京都市立美術館のモネ展、ルノワール展ではまだ列は外には漏れていなかったので春画の方が人気なのかといったら全然そんなことはないと思う。実際の観客動員数は京都市立美術館の方が多いだろう。

わたしが観に行ったとき、まだ列は細見美術館の外へはあふれていなかった。
しかし、中に入るともう陳列のガラスケースの前は人だかりで列ができている。

「観覧の順序はありませんので、空いているところから御覧ください」と監視員が声をかけているけれど、ほとんど空いているところはないし、結局全部見たいのでほとんどの人が列に並ぶ。

列に並び絵を見た。ゆっくりとしか進まない。
えらく流れの悪い展示、なんでだろうと思ったけど、一部の例外を除いて絵は小さい。絵巻物サイズくらいのものが多い。
絵のほんとうに真ん前に行かないと見た気にならない。
一度に二人くらいの人しかその絵を見れない。 

それは、京都市立美術館に展示されているような、モネやルノワールの絵をはぜんぜん違う。
モネの絵は、絵にもよるけど10人以上が一度に鑑賞できるようなものもざらだ。

そもそも、春画は飾るために作られたのではない。当たり前のことにやっと思い当たる。
ひとりで、ふたりで、さんにんで、部屋で手にとってあーだこーだ言いながら眺めるものだったんじゃないだろうか。

ふと、会場を見回すと、大勢が列をなして春画を見ている。
割りとグループで来ている人が多いようで、わいわいと声が聞こえる。
あーだ、こーだ言ってたのかもしれない。

わたしだって、誰かと来てたら突っ込みたかった。

如来様に魔法をかられ小さくなったために、
あちこちで性行為を目撃することができた男の話の春画。

そういう、漫画みたいな設定で描いていたとは知らなかった。


喜多川歌麿など、有名絵師の絵ははやっぱり美しかった、
でも、それ以上にそのサイズ感、ガラスケースの展示というものになじまない雰囲気。
そういう雰囲気が面白かった。