布ナプキンについて、5年ほど使ってみて。

2017年7月20日木曜日

持ち物

そもそも布ナプキンを使い始めたきっかけは、布ナプキンなら毎回捨てなくていい、ごみが減ると嬉しい、みたいな動機だったと思う。やってみて、毎月のごみはでなくなったし、紙ナプキンの残量を気にして買いにいくということもなくなって、動機は満たされ、使い心地もさほど紙のと変わらない感じだったので、使い続けていた。(わたしがメインで使っているのは防水シート付のもので、布ナプキンもいろいろあるので選び方で使い勝手が変わると思う。)

そんな感じで、特段最近はいろいろ考えることもなく使ってきたけど、こないだ初めて外出時に血が漏れてしまい、久々に布ナプキンについて考えていた。漏れた原因は、おそらく前日に大腸のマッサージをしていたことで、子宮も刺激されたのか出血量が随分多く、その時は一度に大量に出血した。マッサージくらいでそんなに量が変わると思ってなかったから油断して漏らしてしまった(去年、チネイザンというお腹のマッサージをしてもらった次の日もすごい出血だったけど、そのことはすっかり忘れてた)。友達の家だったのでよかった。

そんなことがあって考えてみると布ナプキンは全般に吸収の速度が遅い。量としては十分吸収できても速度が追い付いてない感じは漏れなくともある。このときは量がかなり多かったので微妙だけど、紙だとここまで漏れなかったのではないかと思った。布ナプキンの人は自分で出血をコントロールできるみたいな話を聞く、とこの日友達も言っていたけれど、多分コントロールする、ということはこの吸収のスピードの遅さから来るんじゃないかと思う。

自分でも、思い出してみると寝ていても朝方になったらそろそろ出そうだという感じがして目が覚めることはこの何年かちょくちょくあるし、特にこの日はどんどん出血するから、溜まったなーと思ったら出しに行くようにした。漏れたら嫌だからどうしても意識が向く。

そう思うと、紙ナプキンはすごいなと思って、ちゃんとその日にあったものを選んどけば、あまり意識を向けなくてすむ。吸収力すごい。そこそこ一度に大量に出ても、吸収量の多いものを選んどけばまず問題ない。

使い捨てということも、紙ナプキンの気軽さだと思う。布ナプキンだと外にいても家に持って帰って来て、つけ置きして洗う。別に普段これが嫌だとか思ってるわけではないんやけど、泊りで出かけるときにはすぐ処理できないので紙ナプキンを使うし、家でも誰かが泊りに来るときには、つけ置きのたらいを放置しておく勇気がなくて紙ナプキンを使ってしまう。フタ付のバケツでも買えばいいんやろうけど、年に1-2度しかそんなこともないので未だ買うには至らず。布だけに固執すると結構面倒。(このへんは、布・紙の違いというより、使い捨てかそうでないかという問題やけど)。

紙ナプキンがないことが前提の世の中がどんなだったかわからないから、昔の人は大変だっただろうな、と簡単には言えないけど、これだけ吸収力・吸収量の多く軽量な使い捨ての紙ナプキンが安価で出回ってるのはすごい時代なんじゃないかと思う。

一回りして紙ナプキンありがたや、思ったりしました。
生理であることを極力意識しないすむ生活みたいなのは、確かによく生理用品の宣伝キャッチコピーが言ってることだった。「朝まで熟睡」とか、「生理じゃないみたい」とか、うろ覚えだけど。

まあ、でも基本は布ナプキンを使っていこうと思っていて、バシッとなんでとも言いにくいけど、布ナプキンを使うと、生理を意識する、どちらかといえば「今、めっちゃ生理です」、みたいなところが洗ったりという作業も含めてあって、それは面白いのかもしれない。別に人に対してそういうことを言いまくるわけではないけど、自分に対して意識的になる。最初は、ほんとにゴミ減るみたいな興味で、それ自体は今も気持ちいい。でも、以前はコントロールできるとか全く興味なく、コントロールとか自分でできなくても、ナプキン使えばいいやんって思ってた。考えてみればナプキンだけでなく自分でなんかできるんならやってみたい、結果的に楽になるんじゃないか、と今は思ったりしている。そう考えるような面白いことがたまにあって、今の生活で使うものとして十分で気持ちいい。

余談だけど、5年も経つと布ナプキンの経年変化観察も楽しい。