281時間の本当にフリーなフリーキャンプ その2

2015年8月16日日曜日

催し



281時間の本当にフリーなフリーキャンプが始まって201時間12分。
まるネコ堂にて、しっぽが朝ごはんを食べている。

昨日ブログを投稿したとたん、隆から電話がかかってくる。しばらく話して、長くなりそうなので電話はそのままに外に出る。祖母の家に行く予定にしていたので、京都駅に出るのにバスに乗ろうか、電車に乗ろうか迷いながら東大路三条あたりを目指す。電話は前日私がでなかった論文を読むゼミに関することが多くて、そんな話をしていると大谷強の文章をゼミで読みたいという話になった。大谷強は隆の父親で多分その論文の分野のあたりの研究者で、去年まで近所に住んでいた。

「バスに乗るか、電車に乗るか迷っている」と言って、電車を勧められたバスに乗る決心が着いてバスに乗る。

お盆の京都市内なんて空いているだろうと思ったら予想は外れ、東大路は朝から渋滞だった。京都駅でお土産が買いたかったのと、みやこめっせで調べた電車に乗れなさそうになってきたので焦った。ネットが繋がらないので電車の時間もなかなか調べられない。「出るときに連絡する」と言って着く時間を連絡しようと思っていたので、それができなくなってしまうと思ったら焦っていた。今思えば、駅員さんに聞けばよかったのだけど、それが思いつかなくなっていた。

お土産屋さんで阿闍梨餅を探すも売り切れ。珍しくお土産を買いたくなったのにくそっ。前日の夜、行こうと決めたときから何をお土産に買おうか考えていたのに。ないとは思っていなかったから、店の中をぐるぐる歩いて、悔しい気分になりながら、いつものように手ぶらで行こうかと思ったけれど別のものを買った。

着く時間を上手く伝えられずにばたばたとしながら電車に乗る。電車に乗って、そんな時間に着く電車がない、とまた電話をもらって、見なおしたら読み間違えていた。


電車で落ち着くと大谷強のことを思い出していた。亡くなってから義父になった人でこの人のことをどう呼んでいいのかわからない。突然亡くなって以来、寂しい感じがあり、それは泣きわめくというのと全く違ったものだけれど、この近所にこの人はもういないのかと思うと広岡谷が違って見えて、未だそんな感じだ。
「最近ながいこと見なかった、前見た時まだ寒かったか」という、隣のおばちゃんに、
「私は先週ゴミ捨てに行くときに挨拶したとき」と言ったのを思い出す。


祖母の家につく。引っ越ししたての家でたらふくご飯をもらう。会って言いたかった箪笥のお礼が言えた。お土産は仏壇に供えてくれた。仏壇にはおばあちゃんのお父さんの写真があった。

お盆で終戦記念日。

テレビでインタビューされた女の子が、「戦争という言葉をなくして・・・・(語尾を覚えていない
」、と言ってたのが印象的だった。「戦争をなくす」とは全然違う。「言葉をなくす」ってどうしてそんなこと思いついたんだ。