フジタの印象が変わった。「藤田嗣治展」(兵庫県立美術館)。

2016年9月7日水曜日

美術館・展示

フジタ、と言えば、
フランスで乳白色の肌を描きめちゃくちゃ人気が出た画家で、
日本に帰って来て最初は画壇に嫌がらせされるも、
戦争画で初めて日本で人気が出て、
戦後、それなのに、戦争の責任を問われ、
結果的にフランスに移住、国籍を変え洗礼も受け、
フランスで死んだ。

それと、
自分の絵を生涯描こうと試みた孤高の画家。
孤高であるがゆえに、認められないし、
認められないこともいとわない。
そんなイメージがあった。



フジタの絵をこれだけ見るのは初めてだった。
計120点。
学生時代から、死ぬ間際までを網羅している。

作品解説を含めて、
絵を見た後に受けた印象は全然違う。

「孤高」というのが全然違った。
この人はきっと世間のこと、
時代のことを見ている。
そこから、切り返して絵を描くことができる。
それに、絵を描くことによって評価を受けようとしている。

非常に絵のうまい人でもあった。


実は、展覧会を見終わった直後、
あんまり面白い絵だと思えなかった。
多分、「時代とか関係ない自分の絵を描こうとした」みたいなフジタを期待していて、
そこにはそんなものがなかったからかもしれない。

もちろん、そんなものが全くない画家はいないと思うけど、
フジタの面白さはもうちょっと時代を俯瞰した戦略の中にあるのかもしれない
と思った。


例えば、兵庫県立美術館で同時開催されている県美プレミアム
小磯良平の絵を見ることができる。
フジタより20才ほど年下の画家だけど、
小磯は油彩を使って日本の美しい風景を描こうとするのに対して、
フジタは油彩の中に日本の絵の描き方の手法を持ち込みながら
西洋の主題(裸婦など)を描いている。

油彩という技法によって、
日本の主題を描くというのはよく見ることやけど、
技法の中に技法を突っ込むというのは異様なことに違いない。


ということを、
展覧会を見終わったあと、
考え始めた。

フジタという人は、
すごく戦略的な人で、
今でいうと村上隆のような人なことをしていたのかもしれない。
日本で評価を受けにくいということも、似ているし、
風貌の異様さもなんとなく似ている。


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兵庫県立美術館の「裏側」

一般の入館者が入ってくる玄関の「裏側」。
久しぶりに行ったら、ヤノベケンジの彫刻がたっていた。

この像は明らかに海の人たちに向くように設置されていて、
きっと海から見た時の姿が美しい。

陸上のものは、たいがい陸の人のために作られるけど、
海にあるもののために、
陸になにか作りたくなるというのが、
面白い。
網野義彦で海民のことを知ってからそんなことを考えるようになったのかもしれない。

この美術館自体も、
そのように海から見るように設計されているという話を何かで読んだけれど、
そう思う。

来館者の正面玄関は、
倉庫の裏側のような雰囲気がある。