文字の世界を絵で現す。「富岡鉄斎‐近代への架け橋展‐」を見た。

2016年9月29日木曜日

美術館・展示

確か、4月くらいに観に行った「富岡鉄斎‐近代への架け橋展‐」(兵庫県立美術館)
今さら、感想を書きたくなった。

正直言って、何を描こうとしているのかわからない絵だった。
作品の多くは漢文などの書と絵が同じ画面に書かれた軸や屏風。

展示の最後の方まで見て、やっとわかったことが、
富岡鉄斎が漢文などの書を読みそこから見えた世界を絵として表現しているということだった。

うちは、書は到底読めないので(解説文があったけど・・・)、
絵を見ようとして、
なにかその絵の持つ窮屈さの理由がわからずにいたのだった。

さっきwikipediaで調べてわかったけど、
「自分の絵を見るときは、まず賛文を読んでくれ」
と鉄斎自身が言っていたらしい。

このくらいのことを展示を見終わってすぐくらいに考えていた。
そして、こういう絵はつまらない、
だって書を読めばきっとその方がいい訳だし、と、
そんな感じの気分を漠然と抱えていた。


でも、ちょっと最近、
そういう絵だとさえ分かればこれはこれでいいのかもしれない、
と思えてるようになってきた。

漢文でも、漢文じゃない日本の現代の文でも、
それを読んだ誰かの感想を聞いたり、読んだりするのは面白かったりする。

多くの場合はそれを文字でやるんやろうけど鉄斎という人は、
そういうことを絵でやってしまった人なんだろう。

うちにとって漢文や中国古典はとても馴染みのないもので、
やっぱり、絵を見たところで、そこに近づいていくのがなかなか難しい。
でも、漢文を読もうとしている人にとって、
文字や言葉でない、
絵での解釈というのも面白いものなのかもしれない。


今さら調べてわかったことが、
鉄斎は文人で、彼の絵は文人画と呼ばれるらしい。
文人、学問や文章の達人だそうだ。


ああ、でもうちがまだちょっとつまらないと思ってるのは、
美術館では絵を探究した人の絵が見たかった。
でも、この人はそういう感じがしなくて、
だから期待はずれに思ってると思う。