作品からわかることの広さ。

2020年2月19日水曜日

絵画 美術館・展示

わたしたちは多分過去について思ってきたより多くのことを知っているんだと思う。

たまたま70年代前半生まれの別々の2人が、子どもの頃にはまだ科学技術には夢があったというようなことを言っていた。科学技術の夢とは、技術が人を幸せにするといようなことや、もうちょっと具体的に言うと原発の平和利用に希望があったというようなことだ。85年生まれのわたしは、そんな世の中は知らない。自分が生きていなかったという意味では。

だから、自分にはその2人の言っていることを聞くまで70年代の空気感を知りえなかった、というふうに思ってしまうけれど、実際のところは違う。70年代に生きた人が残したものに触れれば、そういうことが端的に書かれていなかったとしてもそれを知ることはおそらく可能だった。

自分が生きていない時代のことも、結構知りうるとか、自分が行ったこともない地域のことも結構わかる、と思えることは大事なことのような気がする。それはもちろんその時代に生きた人やその地域に生きた人の文章や絵画や音楽といった表現によって知りうる。

体験したからかわるというのだけではなんだかつまらない。過去や別の土地の表現物をみることで、その時代や土地の人たちより、あるいは別の角度で何かがわかってしまうってことすらあるのだと思う。

そういうこととが含まれていると言わないと、美術作品を見ること、読むこと、音楽を聞くこと、表現物をみることはおもしろくないと思う。


国立国際美術館の「インポッシブル・アーキテクチャー ―建築家たちの夢」を見てきて、考えたこと。

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 ■ 大谷美緒の催し&お知らせ ■
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○3月20日ー24日:言葉の表出、春合宿2020
https://mio-aqui.blogspot.com/2020/01/2020.html

○7月28日ー8月1日:言葉の表出、夏合宿2020
https://mio-aqui.blogspot.com/2020/01/2020_28.html

2019年6月1日発行雑誌「言語6」に寄稿文が掲載されました。