ものとじっくり関わる。

2014年9月23日火曜日

CARAPACE

リメイクが好きだった。あるのもので作るとか、もったいないとか、節約も良いことだと思っていた。

そういうのはあるモノサシで図ると確かに良いことで、大きくはお金のことだと思うけど、とりあえずあんまりお金を使わなくて済むみたいなところがある。

以前は、本当にゴミ捨て場に行ってものをもらってきたりしていた。今考えるとなにをやっていたんだろうと思う。何が作りたいかと考えずにゴミ捨て場に行って、もらってきて組み合わせていた。

その時の、自分のものの扱いというのは随分雑なものだった。
丁寧に扱えない。ものを見れていなかったなと思う。
ゴミを使っているということを褒めて欲しかっただけなのかもしれない。
それなら、どう扱うかは問題じゃないから丁寧に扱う必要はない。

身近にあるもので作ってみたり、発想するのが悪いとは思っていない、そもそもそのことから逃れられもしない。

違ってきたなと思うことは、もったいないとか節約という発想がなくなってきたことだ。
目の前にあるから使わないといけないという焦りとか、安く作るのがいいとかいう発想がなくなってきた。

そして、だんだんと、リメイクすることと、新品からつくることの差異が減ってきつつある。
例えば、私はよく布を扱うけど古布も新しい布もそこに存在しているという点ではあまり変わらない。

どんな特性があって、どんなものを作るためにどうやって作られたのか、それを使って作りたいものは何なのか。その自分が作ろうとするものがある世界はどんな世界なんだろうか。ものを目の前にするとそんなことを考える。

そういうことは、節約とかもったいないが目的化された時にはなかなか見えてこなかった。
時として、あるものを捨てることが自分の選択になったりもする。それがない世界を選ぶということもできるから。

身の回りに、それこそ膨大にものがある。かなりのものがどこに行っても余っているように思う。そういうことに影響されつつも、振り回されたくはない。

着物、なんとかしなきゃ。ほんとにそう思う時があった。
なんとか使えないかと無理やり着たり、とりあえず色々作ったり。

ものとじっくり関わりたい。
節約やもったいないの前に、どんな風に暮らしたいかという考えがあるから、節約やもったいないから発想してもすねた感じになってしまう。
結果的に節約しているように見えても、その価値観から考えることからは逃れたい。