まるネコ堂ゼミのレジュメ。

2015年6月3日水曜日

催し

まるネコ堂の愛猫ちびと本(ゼミでは読んでいない)。

去年からやって、ちょくちょくブログにも書いていたまるネコ堂ゼミのレジュメについて。

ゼミについては「寄ってたかって本を読む、まるネコ堂ゼミが面白い。」(小林健司のブログ)が非常にわかりやすいので是非こちらも。

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そのけんちゃんのブログでまるネコ堂ゼミの特徴として紹介されている「レジュメ」が最近おもしろい。
レジュメは本からの抜き書きとなぜその部分を抜いたかコメントを書くというシンプルなもの。

最初のうちは担当を決めて1回のゼミの1人のレジュメだったのが年末以降2人以上が書いてくることもしばしば起こるようになった。

自分以外に書いてくる人がいると抜き書きをする場所が違ったり、例え同じでもコメントが違う。
そういうことが起こって何がわかったかと言えば、まず自分以外に書いた人の(けんちゃんの言葉を借りれば)探究が今まで以上にクリアに見える。そして、それに反射されるように自分の探究の方向性がこちらはぼんやりとであるけれどみえてくる。

たとえばこないだレジュメがバッティングしたばっかりのけんちゃんは著者のあり方、本に書かれた人のあり方を見ようとしているとレジュメを読んで思った。そんな見方は私にはなかったので、その探究のおもしろさに惹かれる。

人の探究が見えると、自分はどうなんだと考え始めた。
ゼミ自体にこういうものを抜き出したほうがいいという方向性はなく、自分が「気になったところ」を抜書きしているだけなので、レジュメには自分の探究が露骨に現れているのではないかと思う。

ただ、考え始めただけで結局まだ自分の探究については書けるほどに至っていないけれど。

誰かのレジュメを面白いと思うことはもちろん自分のレジュメを書かなくても起こるけれど、私の場合は濃度が全然違う感うなと思った。

それは、自分がレジュメを書くほどに本を読み込んでいるということがあると思う。
自分の視点ではもうこれ以上見れないというところまで行って、そこで人の視点が入ってくるのだからこんなに面白いことはない。



レジュメが面白いと思い始めたもうひとつのきっかけに「読む・書く・残す」探求クラスがある。
3時間みっちり誰かの文章をただ読むクラス。書き直すためにとか、自分の役に立つことを吸収しようとかいうためではなくて書いた人の意思をただそのまま捉えようとする。

その読み方をレジュメに持ち込むんだことで、以前よりもレジュメが生き生きと見えてきた。

もちろん本自体もそのように読むことはできるんだけど、分量が多すぎてなかなか読む精度を全体にわたって持ち続けることが難しい。レジュメくらいの長さだとかなりその読み方で読むことができる。