Facebookをもうすく辞める。

2015年6月25日木曜日

持ち物

Facebookを退会しようとして、Facebookの方に退会の宣言というか挨拶みたいなものを書いた。
あと数日でアカウントを削除する。


ここしばらくずっとこのことを考えていた。何人かに辞めますとメールで伝えながらもまだ後戻りも進むこともできるような感じがしていた。こうやって宣言してしまうと肩の荷が降りた感じで楽になる。楽になるとこんなに簡単に楽にしてよかったかなと思ったりもする。

考えるべきことまだ残ってなかったかなとか。
Facebookに残りながら生きていく道はなかったのかなとか。
決めると楽になることは知っていた。決断前の重圧から今日でポンっと出できた。



いくつか思ったことを書いておきたい。

最初辞めることを考えたときこれは名案だ!と思って心底ウキウキした。
でも、すぐに暗雲が立ち込めてなかなか実行に移せなかった。

その暗雲の大きくは人とつながり方を変えることへの不安だった。
人とつながっていたい、それで安心したい。近くにいてると思いたい。

Facebookというものの中でのつながりをこちらから断ち切るときに、もう今後別の手段でその人が私とやり取りをしてくれるのかわからない。これを結構不安に思った。これほどまでに人とつながりたかったのかと思った。

でも、それが言葉になると、そうなったとしたらそれでもいいかと徐々に思えてきた。


人とつながりたい自分が見えたときに、遠いものを遠く感じたいとも思った。

Facebookを見ているとカナダに住んでいた頃の友達の投稿が見える。
遠くカナダに住む10年近く会っていない、今となっては言葉も通じるとは言いがたい彼らの投稿を見て、いつでも「いいね!」ができる、いつでも「コメント」ができる、いつでも「会える」だろう、なんとなく近くにいる気がして安心してきたんだなと思った。そう感じられないことが怖かったかもしれない。

でも実はすごく遠くにいる。そのことをそのまま感じたい。
遠くに見ていてもその遠さを乗り越えて会うことはできる。
こう思えることが今は頼もしい。


やめると言ったばかりのちょっと興奮状態やけど書いておきたくなりました。
Facabookは近々アカウントを消してしまうのでここに退会の挨拶も載せます。


=====
Facebookを近々退会します。

少し前にFacebookを退会しようと思いつきました。なんだかそれがすごいいいアイデアのような気がしてウキウキしてたんですがなんで退会しようとするのか考えていると、いろいろ考えてしまいました。

どう思われるんだろうとか。
リュック屋つぶれたと思われたらどうしようとか。

理由は、ひとつの大きな決め手となる理由はなくて、続けたいと思ういろんな理由と辞めたいと思ういろんな理由がいっぱいあるんじゃないかと思いました。それで、ここのところ辞めたい方がちょっと多くなってきたのではないかと思います。

普段は上手くいかなかったから辞めることっていっぱいあるんやけど、Facebookはそうあっさりと実行できなかったのが不思議です。わざわざ宣言まで書いていて。
自分にとっての大きさを感じる。
「いいね!」されて嬉しかったなーとか、コメントもらったなーとか、何人か私がfacebookを勧めた人の顔を思い出したりしてました。

Facebookを辞めたらかといってここで繋がっている人を避けたいとか、その人そのものとの関係を断ち切りたいと言いたいわけではなくて、そう言いたいわけではないということを言うために突然消えるのではなくこんなことをを書いてるような気もします。

ただ、Facebookは去りたいなと思うので、ここを通した関係はなくなってもいいというのが私にはあるんだと思います。

数日のうちにアカウントを削除する予定です。
また、別の場所でお会いすることがあれば!
山根澪