クリスチャン・ボルタンスキー展の感想。

2019年3月12日火曜日

美術館・展示

クリスチャン・ボルタンスキー展の感想。

お化け屋敷みたいな展示。なんかうまい、うまいですね。うまいと思います 。こういう感覚知らないではないっていう感じをすごい味合わせられます。なんというか小さい時に感じた何かが怖いって感じ。今でもあるんですけどでもなんか嫌だって思う感じ。会場にいるときからなんだか落ち着かなくて、で、落ち着けるために解説とかを凄く読みたくなるんですけども。そう思ったのでちょっと読まないで過ごそうと、読まないで思ったことを書いてみようと。何て言うかね。こういう背景があるからこうなんですよ、みたいなことを一足飛びにはしたくないっていう感じです。なんかそうするとこの率直に受けている怖いって感じとかを離してしまう感じがするので。

まあとりあえず見た感想はもう嫌な感じですね。ただなんて言うか狙って上手くやってるって言うのがすごくあるので。なんていうか他に無下には出来ないっていう。

インスタレーションです。インスタレーションで写真とか音が効いてます。音あと映像があります。似たイメージはデヴィッドリンチとかのツインピークスの嫌なぎゅうとした感じとかはすごい思い出します。すごくきれいにそのやな感じをやっている。

ちょっと落ち着いてきましたね。自分が。

 もうやっぱり凄いんではないかと思うけど。ツインピークス思い出して思うのはなんかちょっと笑わしてくれとか思うけど、そういう余地が全くないお化け屋敷としての完成度。

驚かすとかするわけじゃないけれども。逃れられなさとか。自分が自分の中だけの世界に置かれてしまう。会場、心臓のドクドクっていう音がずっと流れてるんですけど。自分の中だけの世界で、外と関わりがあるはずのない世界のその中で社会の霊、霊もお化けなんで、社会の霊と戦うみたいな。特に服とかが あの山積みにされていた部屋とかはそういう社会みたいなのを強く感じるし。知らない人の写真が展示されてて、もちろん展示されてる写真の人なんていつも知らないんですけどね。なんていうか、知らないという感じで人の写真がガンガン展示されていて、一方的にその人はこっちに関わりがあるよって言っていう感じかする。得体の知れない 強さとしてこっちにやってくる 。自分の中の世界に社会が。

視覚的なことで言うと電球をよく使ってるんですけど。電球のコード、 電球のコードを隠さないでわざわざ使ってる。隠した方が美しいとは思うんですけど。ただそれも意図的に出しているということは、あのよくわかるので、よく分かって意味ありげに迫ってきますね。その効果っていうのをちょっと口で説明するのはまだ難しいんですけども。なんかやな感じにはさせていてなんでだろうなとは 思います。無造作にではないですね。電球のコードの置き方は無造作にではない。消耗する。

あまり好きじゃないね。すごいの何かを思わされるけど やりたいとか思わないし羨ましいとか思わない。技術的に何か完成度としては羨ましいなあと思う。完成度ね完成度。やっぱりあのどうにも逃れることができない空間。でも多分ね、自分は逃れられると思ってるからこういう風に捕まえられるの嫌なんですね。この神経症的空間の作り方とか捉え方とか提示の仕方。なんかその時の作者の気持ちとしては正直なんだろうなと。その気持ち自体を他の人にもわかるように、作品を作ってその人の中だけにあるものじゃなくてないようにしている。そう、そういうことをやっているのは、やっているとしたらすごいことだと思います。妙にやる気にさせられるけど、なんか苦手でもあります。

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あとがき
展示を観てすぐに感想を音声入力で話したものを、少し編集して書いた。